エグゼクティブプロデューサーの山田洋次からちひろの壮絶な人生を聞き、衝撃を受けた海南監督は、3年に及ぶ取材を敢行。家族さえ知らなかったエピソードや、ちひろの夫・松本善明からのラブレターにたどり着く。絵の道に進みたいと思っていたちひろだったが、親に従い結婚。だが夫とは不幸な形で死別し、戦争で家も失い、人生のドン底にいた彼女は絵で生きることを決意する。その時、27歳。疎開先の信州から家出同然で単身上京した再出発から、運命の人・松本善明との出逢い、四面楚歌のなかでの再婚、失業中の夫を絵筆一本で支えた過酷な日々、仕事での孤立、そして病との闘い……。その柔らかな絵からは想像できない、波乱の人生。その中で浮き彫りになるのは、情熱的な恋に身を焦がした女性としての顔、孤立しながらも童画界を変えようと奔走した芸術家としての顔、そしてすべての子どもの未来を守ろうとした強い母としての顔だ。物語絵本が中心だった時代に、子どもの心の繊細な内面を描き“感じる絵本”という新たな扉を開くなど、ちひろは生涯絵本の可能性を追求した。卓越したデッサン力、水彩の“にじみ”の技法、余白を生かした大胆な構図。その技術、芸術性の高さ、社会的なテーマは後続のアーティストに大きな影響を与える。また、著作権が確立していなかった時代に、ちひろは原画の返還、作家の権利を訴えた。仕事を切られても彼女は主張を続け、童画界の著作権確立に貢献。結果として今日、絵本画家としては稀な9,400点を超える原画を残し、世界初の絵本美術館の基礎を築いたちひろの功績は大きい。1974年、享年55。「まだ、死ねない。もっと描きたい」が最期のことばだったという。