過疎が進み廃村になった富山県大山町小原で、富山県立技術短大の足立原教授は、教え子グループとともに新しい農業形態に挑戦していた。それは、使われなくなった農地を持ち主から借り受けて実践活動を行うというものである。ある日、彼らの農地の裏に広がる造林地に除草剤が空中散布されることになった。その除草剤は水や土を汚染し、自然の生態系を著しく破壊する危険なものである。足立原は除草剤散布を阻止しようと造林公団や市に訴えるが、杉苗の造林のためには除草は必要不可欠であり、対案のない反対では聞き入れることができないと言われた。足立原は教え子たちと相談の末、造林地の下草刈りの役目を自ら買って出る。ところが、造林地は200ヘクタールという広さで、公団との約束の期日までには終わりそうもなかった。考え抜いた末、彼らは“草刈り十字軍”と銘打ってボランティアを募り、夏休みを利用した学生や社会人など様々な人たちを集める。ブロックごとに分けられたボランティアたちは、早速作業を開始し、辛く慣れない仕事をなんとかこなしていった。ところが、一部のグループで、仕事が辛すぎてやってられないという不平を言う者が現れる。グループの士気は著しく落ち、他のブロックがノルマを終えても、そこだけは一向に終わる目途が立たなかった。約束の期日までに草刈りを終えなければ契約不履行で訴えられてしまう。足立原は仕方なく、さらなるボランティアを求めて都会へ赴き、街角にたむろする若者たちひとりひとりに声をかけて回る地道な作業を始めた。その苦労が実ってボランティアが増員され、下草刈りは期日までに無事終了した。この草刈り十字軍は、その後も20数年にわたって続いている。