今日もアメリカから観光団の一行が羽田空港に到着した。乗客の一人メリー川口は、現在ニューヨークで一流のデザイナーとして活躍している女性である。彼女が今度二十年ぶりで日本に帰って来たのは、故郷の土に眠る両親の墓参りをすることが目的だった。ところが、この“おしのび来日”も新聞紙上に掲載されてしまい、記事を読んだ同業者で幼な馴染みの蝶子は早速彼女のホテルを訪れ、一緒にファッション・ショウを開くことを提案した。蝶子はこの催しによる自分の名声もさることながら、パトロン小松原の名をもう一度浮かび上らせたいという希望があった。有頂天になった小松原はオカボレしている芸者八千代に口をすべらす、八千代はゾッコンほれている毛織会社の宣伝部員林に……という具合で内証内証の話はたちまち巷に拡がった。こうして、メリーを踏み台にひと旗あげようと一同が虎視タンタンの努力をしている折も折、一人の男がメリーをホテルに訪ねて来た。泉と称する青年で、かつて彼女が故郷の天海和尚宛に郵送した手紙を持参していた。その手紙は、墓参に使う金や寺への寄附金などの細目を書いたものである。天海の甥と名乗る泉を信用してしまったメリーは、彼をホテルに滞在させた、さすがのペテン師も日日にふれるメリーの美しい心情に悪事から目ざめるようになった。メリー川口帰朝記念「グランド・ショウ、春のファンタジア全三十景」はマダム蝶子協同製作、小松原寛構成演出の名のもとに開催された。しかしその成果は、蝶子や小松原の名がクローズアップされ、林のアジア毛織が大発展をとげたわけではなく、世の注目を浴びたのはメリー川口の新感覚のデザインだけだった。メリーの実行力と人柄に尊敬の念を抱いた泉は、彼女の大成功をたたえ、はじめて熱い抱擁をかわした。数日後、メリーをのせた旅客機がアメリカへ飛んで行った。