日華事変の頃、日本からスポーツ親善使節としてハワイへ派遣された加納明と牧野春夫は、ふとしたことからハワイに住む河合一家と知り合った。ジーンという娘と隆夫という息子は所謂二世で、アメリカの市民であったが、その父母はまだ日本へ強い郷愁を持つ一世だった。そしてこの平和な夢の島でも、一世と二世との間に日本の軍国主義的な侵略に対する激しい意見の対立があった。明とジーンとは、そうした垣根をこして相愛するようになり再会を約して別れたが、やがて一九四一年一二月八日の日米開戦は二人の望みを絶つかに見えた。隆は父の反対を押しきって二世部隊に志願し欧羅巴戦線へ派遣された。明も日本で出征、サイパンの死闘に参加していた。やがて終戦、ジーンの父は病没し隆夫は隻脚を失って復員した。ある日ハワイに入港した病院船には傷つき捕虜となった明が乗っていた。捕虜収容所の病院のベッドに、重体の身を横たえながら、明はジーンに面会させて貰うことを懇願したが、軍律はそれを許さなかった。自分の命数を知った彼は遂に病院を脱出し、薄い記憶を頼りにジーンの家へたどりついた。夢にも忘れなかった明の姿に歓喜したジーンは固く明と抱き合ったが、明は満足のほほえみを浮かべて息を引きとった。