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二人で歩いた幾春秋

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  • 平均評点

    70.4点(32人)

  • 観たひと

    57

  • 観たいひと

    1

  • レビューの数

    9

基本情報

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1962
公開年月日 1962/8/12
上映時間 102分
製作会社 松竹大船
配給 松竹
レイティング 一般映画
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ モノクロ/シネスコ
メディアタイプ フィルム
音声
上映フォーマット 35mm

スタッフ

監督木下恵介 
脚色木下恵介 
原作河野道工 
製作白井昌夫 
木下恵介 
撮影楠田浩之 
美術浦山芳郎 
音楽木下忠司 
録音大野久男 
照明豊島良三 
編集杉原よ志 
スチル久保哲男 

キャスト

出演佐田啓二 野中義男
高峰秀子 野中とら江
山本豊三 野中利幸
小川虎之助 義男の父
岸輝子 義男の母
久我美子 千代
倍賞千恵子 石川美代子
野々村潔 望月
菅井きん 望月の妻
坂本武 床屋のおやじ
高木信夫 浮田
左右田一平 所員
新島勉 所員
土紀洋児 所長
浜田寅彦 寺下
三崎千恵子 飲み屋のおかみ
水島光代 新入生の母
青山万里子 町の人
田中勝二 身延線の車掌
大橋八千代 由比の宿の女中

解説

歌集「道路工夫の歌」河野道工著より「今年の恋」の木下恵介が脚色・監督したある夫婦の半生を描いた物語。撮影もコンビの楠田浩之。

あらすじ

昭和二十一年、復員した野中義男は、仕事がないままに故郷山梨で道路工夫になったが、生活はみじめだった。給料は一ヵ月二千円。両親、義男、妻とら江、息子利幸は、丘の上の小さな借家に住んだ。翌年、誠実さを認められたとら江は土木出張所の小使に雇われ、義男一家は小使室に住むことを許された。五年後、小学三年生の利幸は成績も一番で、義男はこれからもまともに育ってくれと願う。工夫仲間の望月が脳溢血で倒れた。休みの日、義男は不自由な望月をリヤカーにのせて平塩之岡へ花見に出かけたが、ゆくりなくも初恋の千代と逢った。彼女は義男の出征中、静岡の豪農のもとへ嫁いたが、良人は戦死して今は未亡人である。「片想いじゃ花も咲かない」と、義男は笑いにまぎらして望月にいった。やがて最優秀の成績で中学を卒えた利幸は甲府高等学校へ。幾歳月の苦しみも忘れて、義男ととら江は喜び合った。昭和三十二年、利幸は京都大学に入った。学資の仕送りで義男は好きな酒を半分に減らし、とら江は食べものを節約した。その年も明けて、利幸から意外な手紙がきた。「実は去年、大学の受験に失敗したが、それをいうと叱られると思い、アルバイトしながら勉強した。今年は試験に合格したから安心して下さい」というのだ。三年に進学した利幸は、仕送りに悩む両親に迷惑をかけまいと、アルバイトをつづけるが、学資が足りず、とかく沈みがちだ。好意をよせる石川美代子はそんな利幸を慰めた。そのころ、とら江が京都へやってきた。利幸は遂に学業を諦めてとら江と山梨へ帰った。義男は利幸を殴りながら「親の気持が判らないのか」と泣き、利幸もとら江も泣いた。昭和三十七年、新しく学士として京都大学を巣立つ卒業生の中に、利幸の明るい顔があった。大講堂に列席した義男ととら江のふしくれ立った掌に涙が落ちた。

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