勝手にしやがれ(1959)

かってにしやがれ|À bout de souffle|Breathless

勝手にしやがれ(1959)

amazon
レビューの数

117

平均評点

73.8(651人)

観たひと

1063

観たいひと

112

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル サスペンス・ミステリー
製作国 フランス
製作年 1959
公開年月日 1960/3/26
上映時間 91分
製作会社 ジョルジュ・ド・ボールガール
配給 新外映
レイティング 一般映画
カラー モノクロ/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「大人は判ってくれない」のフランソワ・トリュフォーのオリジナル・シナリオを映画評論家出身のジャン・リュック・ゴダールが監督し、「いとこ同志」のクロード・シャブロルが監修した。撮影はラウール・クタール、音楽をマルシャル・ソラールが担当。出演は「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグ、「危険な曲り角」のジャン・ポール・ベルモンド。製作ジョルジュ・ド・ボールガール。日本初公開1960年3月26日(配給:新外映)。デジタルリマスター版2016年7月23日公開(配給:オンリー・ハーツ)。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

ミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は自動車泥棒の常習犯。今日もマルセイユでかっぱらった車を飛ばしパリに向った。ところが途中で追いかけられた白バイの警官を射殺してしまう。パリに戻ったミシェルは、顔見知りの女から金を盗んで街に出た。旅行案内所のアントニオの所へ約束の金を取りに行く。が、渡されたのは小切手、現金はベリユッティという男が代えてくれるという。刑事が彼を尾行しはじめた。うまくまいた彼はパトリシア(ジーン・セバーグ)の許へ。彼女はヘラルド・トリビューンの新聞売子でアメリカ娘の留学生。二人は南仏の海岸で知合い、他人同士ではなくなった。パトリシアは彼の誘いを断って、街にデートに出かける。ふてくされた彼は彼女のアパートに泊り込む。翌朝、パトリシアはミシェルと部屋でしばしの時を過す……。彼女は飛行場へインタビューに、彼は街で盗んだ車をポンコツ屋に持って行く。素性がばれて、ミシェルはそこの親爺をなぐって逃げ出した。社に戻ったパトリシアのところへ刑事が来て、彼の居所を知らせろといった。尾行をまいたパトリシアは、ミシェルと二人でモンマルトルへ。ようやく酒場でベリユッテイをみつける。金は明日出来るという。その晩、二人はベリユッティの友達のところに泊った。ミシェルは金が出来たら外国に行こうという。彼女はうなずく。しかし、翌朝彼女の気持は変った。彼女の一番欲しいものは自由。新聞を買いにいったついでに、パトリシアは警察に密告した。旅仕度をしているミシェルに“あと十分で警察が来るわよ”という。が、彼の心にはむなしい自嘲と絶望がひろがっただけ。金を持って来たベリユッティは彼に逃亡をすすめる。ミシェルは“疲れた”という。背後から射たれたミシェルはよろめきながら道路を歩く。馳けつけたパトリシアに、倒れた彼は、“お前は最低だ”とつぶやいた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2022年4月下旬号

「勝手にしやがれ」4Kレストア版/「気狂いピエロ」2Kレストア版:「勝手にしやがれ」論

「勝手にしやがれ」4Kレストア版/「気狂いピエロ」2Kレストア版:「気狂いピエロ」論

「勝手にしやがれ」4Kレストア版/「気狂いピエロ」2Kレストア版:ウェブ時代のJLGの肖像

キネマ旬報増刊 大人のシネマ・ライフ 2016Summer→Autumn

スクリーンの中の女優とともに:「勝手にしやがれ」性の香りのしない生意気な小悪魔―ジーン・セバーグ

1960年5月下旬号

外国映画批評:勝手にしやがれ

1960年3月上旬号

新しい波の新しい世代 ヌーヴェル・ヴァーグの新作「勝手にしやがれ」の可能性:鼎談 荻昌弘×羽仁進×岡田晋

外国映画紹介:勝手にしやがれ

1960年2月下旬号

新作グラビア:勝手にしやがれ

2023/10/12

2023/10/12

75点

VOD/U-NEXT 
字幕


蒼乃桔梗57歳、ヌーヴェルバーグの最高傑作に挑む

先日の『気狂いピエロ』ほど明確なストーリーはなく、より無軌道な若者を描いた作品との印象。一人会話劇の体裁をとった、これまた自分探しの旅と感じた。

私が生まれる前の時代の遠きフランスの最先端。破滅へとひた走るジャン・ポール・ベルモンド。バッドエンドは必然。野良犬のように命を落とすこの結末が本作の要なのだろう。

経験値不足のため「ヌーヴェルバーグの最高傑作がこれ」との知識を得たことを収穫としたい。この先、映画を観続けていたらいずれ本作の立ち位置を俯瞰的に理解出来る日が訪れるだろう。

因みに「悲しみと無なら悲しみを選ぶ」は大江健三郎を読み込んでいた頃の私の座右の銘。

2023/10/05

2023/10/09

73点

映画館/愛知県/伏見ミリオン座 
字幕


おしゃれな感じだけど

おしゃれな感じだけど、この映画何を言いたい? やんちゃな若者のバッドエンドは、ヌーベルヴァーグやアメリカンニューシネマの定番ではあるけど、ジュールetジム、ボニー&クライド、ブッチ・キャシディー&サンダンス・キッドに対する共感や彼らから感じた哀愁のようなものは、ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)からは今ひとつ。
ただし、その当時の社会の鬱屈感や閉塞感をブッ飛ばすような、ハッピーエンド優等生映画を鼻で笑うような、そんな尖った雰囲気は感じられました。ん、これがこの映画の言いたいこと?

2020/04/03

2023/09/27

80点

選択しない 


新聞を売るジーン・セバーグに釘付け

 没後二年、生誕九十年のベルモンド君の主演作「勝手にしやがれ」であります。監督・脚本はジャン=リュック・ゴダール、原案がフランソワ・トリュフォー。原題のÀ bout de souffleは「息を切らせて」みたいな意味ですが、邦題はベルモンドのセリフ「Si vous n’aimez pas la mer,/Si vous n’aimez pas la montagne,/Si vous n’aimez pas la ville…,/Allez vous faire foutre !」(もし君が海が好きじゃないんなら/山が好きじゃないんなら/街が好きじゃないんなら/勝手にしやがれ!)から取られてゐます。

 沢田研二さんの同名ヒット曲も本作品からの流用。でも特撮少年のわたくしは、「三大怪獣地球最大の決戦」にて、キングギドラの脅威から地球を守るために結束しやうとするモスラの説得に対して、ゴジラが「俺たちの知つたことか、勝手にしやがれ!」(通訳:ザ・ピーナッツ)と返すのを連想します。因みにその後、有名な「ラドンもさうださうだと言つてゐます」が続きます。

 詰らない事を述べました。サテ本作の主人公ミシェル(ベルモンド)は、自動車泥棒の常習犯であります。マルセイユで盗んだ車でパリに向ふ途中、無理な追越しをして白バイに追ひかけられます。たまたま車にはピストルがあり、追手の警官を射殺してしまふミシェル。パリまで逃走し、以前南仏の海岸で知り合つたアメリカの留学生・パトリシア(ジーン・セバーグ)と会ひます。以後行動を共にする二人ですが、ミシェルの素性は新聞に素破抜かれて、デカデカと顔写真も出てゐます。

 ある密告者が、ヴィタル刑事(ダニエル・ブーランジェ)に、犯人とパトリシアが一緒にゐた現場を通報します。それで刑事に呼ばれるパトリシアですが、その場はミシェルを庇ひ居場所は知らないと言ひます。
 漸くクルマのカネが入ると云ふその日、一転してパトリシアは刑事にミシェルの居場所を教へます。それをミシェルに告げ、逃げろと云ふ。彼女としては逃避行に疲れ、自由が欲しかつただけで、ミシェルに悪感情はないのです。しかし疲れてゐたのはミシェルも同じで、逃げずに「刑務所もいいだらう」と達観します。

 やがて現れる警察。銃を携帯するものの無抵抗のまま歩いて来るミシェルに対し、警察は彼に発砲します。おお。倒れるミシェルが呟きます。「最低だ」と。「最低つてどう云ふ意味?」と聞き返すパトリシアの顔が大写しになつて、唐突に「FIN」であります。

 一応クライムムーヸーの体裁ですが、敢てサスペンスは封印し、例へば同じく警察から逃走を続ける「太陽がいっぱい」なんかとは大いに印象が異なるのです。序でにいへば、ヌーベルバーグなる映画運動には余り興味はありません。映画単体が面白ければそれでいいと存じます。

 その意味では、中中わたくし好みのストオリイ、演出です。仏文科出身なのでおフランス映画は昔からよく見てゐまして、これも繰り返し見てゐます。ベルモンドがハンフリー・ボガートよろしく、のべつ煙草を吸ひ指で口元を拭ふ仕草も良い。それから実によく喋ります。意味のない事をベラベラと、不条理の上塗りのやうな語り口。それをフランス語が堪能ではないアメリカ娘にどう響いたかは、定かではありませんが。

 ヒロインのジーン・セバーグは文句なしです。今更わたくしが喋喋するまでもありませんが。ヘラルド・トリビューンを売る姿は眞にキュウトでした。桜井浩子さんはジーン・セバーグに憧れて映画界に入つたのに、毎日怪獣の相手をさせられたと言つてゐました。

 ドキュメンタリイ風のロケ映像が、凱旋門をバックにしたパリの風景に上手く適合し、ジャンプカットの多用と共に効果を増してゐました。意味のない映像で時間を水増しするだけの日本映画も、どんどんジャンプカットして飛ばせば良いと存じます。詰らないとか退屈とか酷評も多い本作ですが、わたくしにはアッと云ふ間の90分なのであります。

2023/09/19

2023/09/19

85点

選択しない 


ヌーヴェルバーグの代表作

ゴダール監督によるヌーヴェルバーグの代表作。それまでのこと的文法を壊し、即興的演出、手ブレありの撮影、ジャンプカットなどを駆使してリアリティを追求した。その手法が主人公たちの刹那的、虚無的生き方にマッチして効果を上げている。

2023/04/03

2023/04/04

70点

映画館/東京都/キネカ大森 
字幕


強烈でスペシャルな編集は、尺とり問題だった?

根無し草青年のミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)。
自動車泥棒の常習で、女性から金をくすねての生活。
今日もマルセイユで盗んだ車でパリに向っていたところ、スピード違反で白バイの警官に追いかけられる羽目に。
が、いつもと違ったのは、車のダッシュボードに拳銃が入っていたこと。
ひょんなことで警官を射殺。
追われる立場になってしまう・・・

といったところからはじまる物語で、その後・・・

パリへ戻ったミシェルは女のもとを転々とし、貸した金の取り立てをするも渡されたのはヤミ小切手で、現金化するには別の男の下へ行かねばならなくなる。
途中、数週前に南仏で知り合ったキュートな米国娘パトリシア(ジーン・セバーグ)と再会。
ベタベタと付きまとうが、パトリシアは束縛されるのがイヤ。
ついには、警察にミシェルの居場所を密告し、ミシェルは射殺されてしまう・・・

と展開する物語はあらすじだけ抜き出すとバカみたいだ。
まぁ、チンピラを主人公にした犯罪映画のハナシなんて、バカみたいなものが多いんだけれど。

撃たれたミシェルはパリの街路をフラフラと逃げ歩いた挙句、「最低だ・・・」と呟き、自らの手で瞼をおろして死んでしまうが、「バカだな・・・」と読み替えてもいいでしょう。

で、この映画を物語を語っても仕方がない。
やはり、強烈な音楽と映像のスタイルで語るべき映画だろうし、また、そう語られてきた。

ビートとパンチの効いた音楽、ギクシャクとしたカッティングと編集。
特に映像については、製作された1959年の時点では、相当強烈な印象を残したはず。

鑑賞後、中条省平の新書『フランス映画史の誘惑』で確認したところ、ジャンプカットと呼ばれる、間を縮めた編集つなぎは、長回しで撮っていたがゆえに尺が長くなりすぎ、尺を縮めるための編集だったそうな。

そういわれれば、「ヘラルド・トリビューン紙」を売り歩くパトリシアと再会したミシェルが彼女と話しながらが歩くシーンや、ホテルの一室でミシェルと交わす男女の駆け引きのシーン、最後のフラフラ逃げるミシェルのシーンなど随所で長回しが登場する。
これらのシーンは、切るに切れなかったということだろう。

逆に、ヘラルド・トリビューン紙のパトリシアの上司が彼女に著名作家の取材に行けというシーン(取材後の話を聞くシーンだったけ?)は、あまりに冗漫なので、セリフの間まで詰めている。
自動車での移動シーンも長く撮ったが、繋げると冗漫だったので、短く繋げたのかもしれませんし、冒頭の警官殺しのシーンは、逆に、全然撮っておらず、ショットが足りない感じがします。

ということで、ヌーヴェルバーグ的カッティングと編集は、尺との闘いから生まれたのですね。

で、この映画以降、ヌーヴェルバーグ的手法が他の映画でも頻繁に用いられるようになるわけですが、それはまた別のハナシ。
この映画を観て、「なんだか、前にどこか別の映画で観たような感じが・・・」と感じたならば、それはこの映画の模倣ですから。

2023/03/25

2023/04/01

75点

テレビ/有料放送/WOWOW 
字幕


けしてストーカーにはならない

男女がその微妙な距離の関係をわざと造りだして、それを楽しんでいるように写る二人。現代日本ならばストーカー呼ばわりされてしまうような事を楽しむ余裕と知的さをさらりと見せる。