没後二年、生誕九十年のベルモンド君の主演作「勝手にしやがれ」であります。監督・脚本はジャン=リュック・ゴダール、原案がフランソワ・トリュフォー。原題のÀ bout de souffleは「息を切らせて」みたいな意味ですが、邦題はベルモンドのセリフ「Si vous n’aimez pas la mer,/Si vous n’aimez pas la montagne,/Si vous n’aimez pas la ville…,/Allez vous faire foutre !」(もし君が海が好きじゃないんなら/山が好きじゃないんなら/街が好きじゃないんなら/勝手にしやがれ!)から取られてゐます。
沢田研二さんの同名ヒット曲も本作品からの流用。でも特撮少年のわたくしは、「三大怪獣地球最大の決戦」にて、キングギドラの脅威から地球を守るために結束しやうとするモスラの説得に対して、ゴジラが「俺たちの知つたことか、勝手にしやがれ!」(通訳:ザ・ピーナッツ)と返すのを連想します。因みにその後、有名な「ラドンもさうださうだと言つてゐます」が続きます。
詰らない事を述べました。サテ本作の主人公ミシェル(ベルモンド)は、自動車泥棒の常習犯であります。マルセイユで盗んだ車でパリに向ふ途中、無理な追越しをして白バイに追ひかけられます。たまたま車にはピストルがあり、追手の警官を射殺してしまふミシェル。パリまで逃走し、以前南仏の海岸で知り合つたアメリカの留学生・パトリシア(ジーン・セバーグ)と会ひます。以後行動を共にする二人ですが、ミシェルの素性は新聞に素破抜かれて、デカデカと顔写真も出てゐます。
ある密告者が、ヴィタル刑事(ダニエル・ブーランジェ)に、犯人とパトリシアが一緒にゐた現場を通報します。それで刑事に呼ばれるパトリシアですが、その場はミシェルを庇ひ居場所は知らないと言ひます。
漸くクルマのカネが入ると云ふその日、一転してパトリシアは刑事にミシェルの居場所を教へます。それをミシェルに告げ、逃げろと云ふ。彼女としては逃避行に疲れ、自由が欲しかつただけで、ミシェルに悪感情はないのです。しかし疲れてゐたのはミシェルも同じで、逃げずに「刑務所もいいだらう」と達観します。
やがて現れる警察。銃を携帯するものの無抵抗のまま歩いて来るミシェルに対し、警察は彼に発砲します。おお。倒れるミシェルが呟きます。「最低だ」と。「最低つてどう云ふ意味?」と聞き返すパトリシアの顔が大写しになつて、唐突に「FIN」であります。
一応クライムムーヸーの体裁ですが、敢てサスペンスは封印し、例へば同じく警察から逃走を続ける「太陽がいっぱい」なんかとは大いに印象が異なるのです。序でにいへば、ヌーベルバーグなる映画運動には余り興味はありません。映画単体が面白ければそれでいいと存じます。
その意味では、中中わたくし好みのストオリイ、演出です。仏文科出身なのでおフランス映画は昔からよく見てゐまして、これも繰り返し見てゐます。ベルモンドがハンフリー・ボガートよろしく、のべつ煙草を吸ひ指で口元を拭ふ仕草も良い。それから実によく喋ります。意味のない事をベラベラと、不条理の上塗りのやうな語り口。それをフランス語が堪能ではないアメリカ娘にどう響いたかは、定かではありませんが。
ヒロインのジーン・セバーグは文句なしです。今更わたくしが喋喋するまでもありませんが。ヘラルド・トリビューンを売る姿は眞にキュウトでした。桜井浩子さんはジーン・セバーグに憧れて映画界に入つたのに、毎日怪獣の相手をさせられたと言つてゐました。
ドキュメンタリイ風のロケ映像が、凱旋門をバックにしたパリの風景に上手く適合し、ジャンプカットの多用と共に効果を増してゐました。意味のない映像で時間を水増しするだけの日本映画も、どんどんジャンプカットして飛ばせば良いと存じます。詰らないとか退屈とか酷評も多い本作ですが、わたくしにはアッと云ふ間の90分なのであります。