ナチス占領下のパリで奮闘する女性劇場支配人をカトリーヌ・ドヌーヴがクール美で好演
ネタバレ
正直に書くと、観ている最中は感情移入出来なかった。それは、マリオン(カトリーヌ・ドヌーヴが演じる)とベルナール(ジェラール・ドパルデューが演じる)が深い処で(表面上は分からないが)好意を抱き合っていることを軽視していたから。演出上は、充分匂わせているのだが、私は、”ナチスとの心理的or肉体的な激しい闘い”の様な描写を頭のどこかで期待していた(その当時を描いた映画で私が観たのは、概ねそうで、それで私は感動していたので、、、)のだが、意外とあまり激しくなかったのに拍子抜けしまっていた。
でも、改めて、当作品を反芻してみると、そんな真っ暗なご時世において、劇場を存続させよう(or 自分の夢を実現しよう)と頑張る人達の群像劇として、個々の人物をとても上手く描写している、と感じた。いやはや、まだまだ自分の映画鑑賞修行の足りなさを、これを書きながら、実感している。
マリオンは、ユダヤ人の夫(劇場支配人兼演出家)を地下に匿って、自分が表立って劇場支配人を務めている。才能ある夫を尊敬し、愛している。でも、やはり辛いでしょう。常に夫の身が危険で、(自分の気持ちとは正反対な)政治的な身の振り方も色々としなければいけない。長期の地下生活に夫のイライラも募る。そんな時に現れた才能ある役者ベルナール。マリオンが一瞬彼を見る眼差しが語っていましたね、彼女の中に芽生えた感情を。でも、二人はお互いの好意を態度に表しません。マリオンは、稽古では自分の顔をベルナールに触れさせない。一方の、ベルナールは他の女性達は軽い感じで口説くが、マリオンは口説かない(まぁ、支配人だから、役を下ろされたら困る、と考えていたかもしれないけど)。⇒そんなサインに敏感に気付いて、いや、気付いていたのだが、それを味わおうとせず、”ナチスとの闘い”ばかりを気にしていた事を勿体なく思ってます。実際には、マリオンは闘っていましたからね。劇場を存続させるって、本当に大変だったでしょう。食料だって乏しいし、劇団関係者を養わなければいけない。そのためには、言い寄ってくるナチス支持の劇批評家とも会話しなければならない(でも、毅然とした態度をとるマリオン)。中には密告者も表れて。。。だからこそ、ラストシーンのカーテンコールでの(夫とベルナールと手を繋ぎ)彼女の誇らしげな笑顔(多少、控えめなのが、また良い)が非常に生きてくる、こうやってレビューを書きながら、感動を覚えていきました。こういう内面的な闘いをトリュフォーは描きたかったんでしょうね。だからこそ、ベルナールに惹かれる妻を理解する夫も私は理解出来たし、稽古期間中の懇親会で(ベルナールが別の女性を連れて来た)行き釣りの男と夜遊びするのも、観客の私は目をつむって見てました。その後、ノコノコと会いに来た行き釣り男を、マリオンはベルナールに追い払わせたし(ベルナールの追い払い方が、嫌味たっぷりで良かった)。そう言えば、ベルナールが批評家を殴った理由が、マリオンの演技を酷評したからですね。好意が行動に現れてますね。
ベルナールはレジスタンスに入るかどうか決め兼ねていますが、友人が逮捕されて、遂に入ろうと決心し、他の役者に引き継いで劇場を去ろうとします。去るろうとする理由を言わない彼。死ぬかもしれないから、敢えて言わなかったのかな。うーん、味わい深いなぁ。
そう言えば、夫の替わりに演出をするジャン=ルーだって、劇場を守る為に頑張ってましたよね。ドイツ軍と上手くやって。その影響でパリ解放後にはフランス軍に捕まりましたが。それぞれの闘い方があった、そんなことを気付かせる良い作品でした。
ベルナールが批評家を殴ったシーンで、マリオンは真剣にベルナールに怒りを表します。「今迄の努力が無駄になるじゃない」って。彼女は闘っていたんですね。そして、パリ市民は、ナチス占領下でも、普通さを維持しようと劇場に足を運んでいた、と言います。その様なパリ市民の心持ち・態度が、パリを解放した下地になったのでしょう。そして、それを支えた芸術関係者に対するトリュフォーの敬意を込めたオマージュだったのですね、この作品は。