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ザ・ウォーク
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この実話のエピソードについては、ドキュメンタリー映画『マン・オン・ワイヤー』(2008)を鑑賞済み。 ただし、その作品の最大の弱点は、肝心の綱渡りの映像が静止画しかないことで、 静止画だけでも綱渡りの美しさは発揮できていたものの、動いている画を見られない物足りなさは感じた。 そして、その美しさは映像でのみ提示可能であり、言葉をいくら並べても表現できる物ではない。 『ザ・ウォーク』は、その欠落した映像を再現することだけが目的のような作品で、ここぞとばかりに3Dの技術を活かしている。 綱渡り以外の、主人公の生い立ちから決行までのエピソードも、映像も含めて『マン・オン・ワイヤー』とかなり重なっていて、おまけに綱渡りのシーンBGMが、共にピアノ曲のサティと「エリーゼのために」のところまで同じ。 しかし、411メートルの屋上付近の高所で人間が動いているところの映像はかなり圧倒的。 結論から言えば、正に言葉では説明できない「アート」と称するしかない。 論理的に考えれば、この行為に対して別の見方は可能で、例えば。 (1)落ちれば死ぬのは、411メートルでも20メートルでも同じ (2)今、高所での危険行為の自撮り映像をネットで公表して批判を浴びていることとの違いが不明確 などが考えられる。 (1)については、高さについて我々より冷静に判断できるはずの主人公のプティ本人も、411メートルという高さに立ってみて特別な意味を感じているように描かれていたから、確かに20メートルとは違うのだろうとしか言えない。 (2)については、いくら考えてもプティとネット動画との違いを区別できず、結局「プティはアートだが、ネット動画はアートでない。映像を観て、そうとしか言えない。」と感情論で言うことになってしまう。 頭で考えても説明できない、映像でしか説明できないことを描いて見せる、まさに映画ならではの映画と言えるだろう。 【3Dについて】 最近の数々の3D映画を観て、アメリカ映画では3Dは「映画音楽」的な使い方をしていると感じていた。 つまり、全編均一に3Dで撮るのではなく、要所のシーンのみ3D効果を強調する割り切った使い方をしているように見えていた。 本作は今までと違い、綱渡りシーンに有効な3Dを冒頭からどんどん使って、初の「本格的全編3D映画」かと思いながら観ていたのだが、観終わって「そうでもなかった」と思ったのは、やはり3Dは要所のみに限られたのか?観ているこっちが3Dに目が慣れただけなのか?判らない。 どっちなんだろう?
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