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アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ
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タイトルでほぼ語り尽くされている映画だが、本作でキャメロンが描こうとするのは、進化と破壊、再生と希望、多文化共存といったテーマの果てしない連なりである。もはやこれは一本の映画というより、連作として編まれる叙事詩に近い。プルーストが『失われた時を求めて』で挑もうとした時間と記憶の総体を、映像で更新しようとしているかのようにも見える。 確かに長い。だが、シリーズを通じて物語の骨格はほとんど変わっていない。 身体に障害を抱えた人間がパンドラで力を得る未来社会を描いた第1作『アバター』、種族と人間社会の対立が激化した前作を経て、本作では新たにアッシュ族のヴィラン(ウーナ・チャップリン)が登場する。その圧倒的で、どこか強引にも思える存在感は、これまでのキャメロン作品に繰り返し現れてきた「破壊者」の系譜を思わせる。 それは人類の外部にある悪ではない。むしろ、人類の内側に潜む破壊衝動――言い換えれば侵略者そのものの姿だ。 つまり、私たち自身である。環境を破壊する資本の論理に、無自覚に組み込まれて生きる人間の姿だ。 前作までは「人間対ナヴィ」という明快な対立構図だった。しかし本作は、ナヴィの内部にもヴィランが存在しうることを示す。さらに、スパイダーという共生的存在でさえ、クローンとして“商品化”され得る可能性が暗示される。命は尊重されるものではなく、管理され、複製され、利用される対象へと滑り落ちていく。 映画は前作同様、エイワを中心に生と死の循環を美しく描き出す。だが、その調和は決して安定したものではない。そこには常に、信仰が暴力へと転じる危うさが潜んでいる。 いまのアメリカ社会を見渡せば、キャメロンが理想としてきた多様性は、むしろ否定と分断の方向へ向かいつつある。その溝は埋まるどころか、厚い壁として固定化されている。本作でも、人類からの攻撃に対して戦うべきか否かが議論されるが、彼らが最終的に選ぶのは、やはり戦争だ。 キャメロンが広げたこの壮大な風呂敷は、果たしてどこへ向かうのか。希望へ収束するのか、それとも灰の中に沈んでいくのか。答えはまだ示されていない。
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