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聖地には蜘蛛が巣を張る
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日本に置き換えよう。世論という数の原理に後押しされ、好き勝手に都会の森林を伐採し、公益通報を無視して職員を自殺に追い込み、この国の根幹である憲法をどさくさ紛れに変えてしまおうとう趨勢を、この映画に見る。これはイラン(テヘラン)の話しではない。 この作品のあと「アプレンティス」を撮るアリ・アッバシ監督は、このコロナ禍でこの映画を撮るために相当な苦労を重ねたようだ。 その苦労がにじみ出るようなドラマだが、殺人を世論が支持する、という展開のおぞましさ。反面、街に立つ娼婦は消えることがない。殺人鬼を世論が支持することで、人を殺めるという行為を正当化してゆく。まさに日本でも起きている現実。日本は過去の歴史においても、他国の人々の命を殺めてきた。 この映画を見ると、何を拠り所に生きるべきか困惑する。そのための宗教であるはずが、アラーの神を背景に次々と人殺しをする殺人鬼が世の中で支持される。女性記者が映像を見返すラスト。彼女は殺人鬼の幼い息子が自慢げに父親の殺人を(妹を使って)再現するシーンを再生する。 イラン映画を見ると時々出てくる道徳警察は、ある意味で警察よりも立場が強いのか。女性記者が相談に行った警察は、彼女をホテルでレイプしようとする。結局この女性記者がおとりになって、殺人鬼の証拠を抑えるのだが、裁判でもこの殺人鬼は世論を味方にする。世論との板挟みにあった裁判所が下した決断はともかく、死刑執行に向かう殺人鬼をむち打ちするのも演技だ。 この映画の殺人シーンや殺人鬼の絞首刑シーンで、人物が息苦しくなる表情が露骨に映される。この息苦しさこそ、この映画の主張なのではないかと思う。しかしイランという国の息苦しさは、日本も同じなのではないか。
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