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ジェームズ・キャメロン

  • James Cameron
  • 脚本/監督/製作/原作/キャラクタ創造/プロデューサー/出演
本名 James Francis Cameron
出身地 カナダ、オンタリオ州
生年月日 1954年8月16日
没年月日

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略歴

【独学で映画作りを学んだ完璧主義者】カナダのオンタリオ州、大自然に囲まれた小さな町カプスカシンで5人兄弟の長男として生まれる。電気技師の父の影響で幼い頃から機械に興味を持ち、「2001年宇宙の旅」に衝撃を受け、8ミリカメラで映画を撮り始める。その後、父の転職でカリフォルニア州オレンジ・カウンティに引越し、高校卒業後は州立大学に進学。海洋生物学と物理学を学ぶも2年で中退し、整備工場に就職する。しかし映画監督の夢を諦めきれず、独学で映画製作を学び、SF映画“Xenogenesis”を自主製作。その後、多くの若手監督を育てたロジャー・コーマンの会社ニューワールド・ピクチャーズのスタッフとなり、「宇宙の7人」(80)、「ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星」(81)の特撮班となる。1981年、「殺人魚フライングキラー」で初監督。しかし与えられた脚本、プロデューサーとの衝突やスタッフとの軋轢から、キャメロン自身にとっては満足のいく出来ばえではなかった。その経験から自分の脚本で監督をすることを念頭に置き、その頃書き始めたのが代表作となる「ターミネーター」である。完成した脚本は映画会社の話題となり、640万ドルの出資を受けて作った中規模映画「ターミネーター」は、世界中で大ヒット。続いて脚本も依頼された「エイリアン2」(86)、「ターミネーター」の続編「ターミネーター2」(91)も大成功を収め、SFアクション映画の第一人者になる。【「タイタニックで世界の頂点に】粘着的なアクション描写や闘う女性への憧憬、銃器への偏愛など、どんな大作を手がけても確実にその作家性を刻みつけ、一般客にもマニアにも愛される監督として意欲作を連発。深海SF映画「アビス」(89)、「ターミネーター」でスターダムに押し上げたアーノルド・シュワルツェネッガーとの3度目のコンビ作「トゥルーライズ」(94)を経て、97年、「タイタニック」を発表する。細部までこだわるキャメロンの完璧主義により、製作費を予定より大幅に超えて、撮影中からなにかと話題を呼んだ「タイタニック」だが、映画史上最高の興行収入を記録。もちろんキャメロンの作品でも最大のヒット作となった。アカデミー賞でも作品、監督賞を含む11部門を独占し、名実ともにハリウッドの頂点に立つ。総決算「タイタニック」の成功以後、監督の仕事からは長く離れて、テレビドラマ『ダーク・エンジェル』の製作総指揮やI―MAXの映画製作など、活動の中心をプロデューサー業に移行しつつある。80年代から90年代にかけてのアメリカ映画大作主義時代を象徴する存在であり、09年末には製作に4年以上を費した久々の監督作、3D映画「アバター」の公開が予定されている。

キネマ旬報の記事

2012年4月上旬号

「タイタニック 3D」:ロング・インタビュー ジェームズ・キャメロン[監督] 沈没100周年を迎えた今、新たに3Dで甦らせた理由

2010年2月上旬号

HOT SHOTS:「アバター」ジェームズ・キャメロン来日

2010年1月上旬号

「アバター」:ジェームズ・キャメロンがこだわった3D映画製作への道のり

2003年7月上旬号

HOT SHOTS:ジェームズ・キャメロン

1997年12月上旬号

巻頭特集 タイタニック:ジェームズ・キャメロン監督 インタビュー

1996年臨時増刊 押井守全仕事

ジェームス・キャメロン、押井守を語る:

1994年10月上旬秋の特別号

グラビア 《Talky Talk(News)》 :ジェームズ・キャメロン来日

1994年1月上旬新年特別号

特集 完全版特集:ジェームズ・キャメロン

1991年9月下旬号

インタビュー:ジェームズ・キャメロン

1991年8月下旬号

特集 ターミネーター2:ジェームズ・キャメロン インタビュー

1990年4月上旬号

THE FACE '90:ジェームズ・キャメロン

1990年2月上旬号

特集 アビス:ジェームズ・キャメロン会見記

特集 アビス:監督論

1987年2月下旬決算特別号

特別グラビア:読者選出外国映画監督賞 ジェイムズ・キャメロン

1986年12月上旬号

映像シンポジウム:ジェームズ・キャメロン/ジョン・ブルーノ/スタン・ウィンストン/小松左京