ミドリは若いお妾であった。その旦那の金子は家屋売買のブローカーで、商売友達の玉井と二人で、格安なアトリエつきの家を買った。だがその家には老画家の野村一家ががんばっている。金子も玉井もこれには手こずったが結局野村が二階の一間をあけるというので、野村を追い出す算段のため金子がその室に入ることになった。引越しの日、ミドリはふてくされていたが、意外にも野村一家の人たちから「お嬢さん」として迎えられ、やむなく金子とミドリは父娘として住みこんでしまう。下のアトリエに住む野村一家とは野村画伯とその細君、明るい娘陽子、まだ復員しないせがれ一郎の妻久美子とその子英一たちで、だれもかれも今の世にめずらしい善人であった。その人たちの中でミドリはいつか貧しいけれど明るい健康な生活に対するあこがれににたものが胸にひろがり、今まで濃いルージュをぬったくちびるに煙草をくわえていた様な彼女が形だけでもお嬢さんらしく振舞うことに、かすかな人間的なよろこびを感じるのだった。そうしたある日、野村から肖像を描かせてくれと懇望されたミドリは野村の澄んだひとみの中で自分の本当の姿が見破られることを怖れたが、とうとう承諾してしまう。ミドリの肖像画は野村の異常な情熱の中で進行した。だがミドリは一人の娘としてモデルになっていることが次第に苦痛になってきた。それはウソの皮にとじこめられた良心的な苦しみであったのだ。とくに陽子とその恋人中島青年の明るい交際を目の前にみて、同じ年ごろである自分の心のうらぶれに耐えられなくなり、モデルもやめ、この家もとび出していこうと金子にせがむ。やはり彼女は肩の張らない自だらくな生活がいいと思うのだ。その日お妾友だちの芳子のアパートで酒をのみ、酔って家へ帰るミドリは、もうお嬢さんの皮をかぶっていることをかなぐりすてて、「わたしはお嬢さんじゃないよお妾だい……」とうつろにわめくのだった。アトリエに帰って「肖像」の前に立ったミドリは「こんなとりすました奴は殺してしまうんだ」とパレットナイフで突き破ってしまおうとする。だが久美子がこれをみてはげしくミドリにいうのだ--あなたは強く生きることを怖がっているのです、私が貴女だったら自分にナイフをつき刺します--そのことばに、ミドリはわあっとなき出してしまう。翌朝、ミドリは姿を消していた。彼女はうそのない強い生き方を求めていったのだ。--その年の秋の展覧会に、野村画伯の「肖像」はすばらしい好評であった。会場でその「肖像」をじっとながめているのはかみの毛を無雑作にたばね、心持ちやせてはいるが、何かりん然としたミドリの姿であった。