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いつか来た道(1959)

  • いつかきたみち
  • The Path I Remember
  • ----


  • 平均評点

    62.4点(10人)

  • 観たひと

    16

  • 観たいひと

    1

  • レビューの数

    4

基本情報

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1959
公開年月日 1959/5/27
上映時間 98分
製作会社 大映東京
配給
レイティング 一般映画
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ カラー/シネスコ
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル
上映フォーマット 35mm

スタッフ

キャスト

出演山本富士子 池田さや
和波孝禧 弟稔
黒岩かをる 妹みよ
小川虎之助 祖父源太郎
小林勝彦 小倉二郎
片山明彦 野口時男
見明凡太朗 井上医師
北原義郎 市川
杉田康 楽友会委員A
中条静夫 楽友会委員B
酒井三郎 楽友会委員C
袴光男 楽友会委員D
花野富夫 楽友会委員E
南左斗子 楽友会女子委員A
井上信彦 新聞記者
中田勉 郵便配達
小杉光史 作男
八潮悠子 野口の妻清子
夏木章 キャメラマン
渡辺久雄 葡萄組合青年部員
伊東光一 プロモーター
若松健 進行係
若林祥二 アナウンサー
大山健二 音楽学校長
白井玲子 看護婦
此木透 交通公社庶務課長
ワルター・タウチニッキ ウィーン少年合唱団団長
ベルダ・鰐淵 通訳
シュタットマン・ボルフガング ヨハン少年

解説

ウィーン少年合唱団の二度目の来日を記念して製作された音楽映画で、「女の教室」の共同執筆者・長谷川公之と島耕二のオリジナル・シナリオを、「細雪(1959)」のコンビの島耕二が監督し、小原譲治が撮影した。ウィーン少年合唱団が出演している。

あらすじ

池田さやは甲府市外で葡萄園を経営している。両親を失って以来、祖父と弟・稔、妹・みよたちの母がわりで生きてきた。稔は身体障害者だった。生きる自信を与えたいと、さやは彼に有名な音楽教室でバイオリンを習わせた。音楽家を志した父の遺志もあった。点字楽譜を作ったりした彼女の努力はむくわれ、稔は腕を上げていった。さやには二人の理解者がいた。市役所の観光課につとめる実直な青年・小倉と、葡萄酒社の若主人野口である。--ある日、稔はみよと兄妹げんかをした。みよが亡父のバイオリンにさわったからだ。彼女が野口にバイオリンを習い始めたのを知らなかった。さやは配水場の中で無心に弓を動かす妹を見つけた。みよはさやの愛情が兄だけに注がれるのが淋しかったのだ。さやは稔に気をかねて、みよのバイオリンをやめさせようとした。が、稔はぼくと競争でやろうと、喜んで合奏したのだ。--オーストリアから一枚の絵はがきが届いた。稔のペンフレンドの、ウィーン少年合唱団のヨハン君が来日すると報せてきたのだ。が、その直後、稔は高熱におそわれ、急性白血病と診断された。生命は時間の問題だった。--一年前に、少年合唱団が来日したとき、稔はその合唱に感動し、小倉を通じてヨハン君とペンフレンドになった。さやは弟のために合唱団を羽田に出迎えた。弟が生きているうちに、もう一度、合唱をきかしてやりたかった。が、スケージュールはつまってい、甲府公演を早めるわけにはいかなかった。日取りの早い静岡公演を甲府とさしかえるほか、稔の生きてるうち間に合う手段はないのだ。この不可能に近いことを、さやは実現させようとした。合唱団も放送局も協力した。団員の輸送には、両県の交通公社が一役買った。甲府公演が実現し、合唱団は病床の稔のために歌った。稔は自分がバイオリン用に作曲した“この道”を弾いてきかせたかったと残念がった。そのまま、彼は息をひきとった。--公会堂で、合唱団は稔の作曲をみよの伴奏で合唱したいと申し出た。演奏するみよの姿が、舞台の袖でみつめるさやには、涙のゆえか、どうしても死んだ弟に見えてしかたがなかった。

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2001年2月上旬号

新作紹介:いつか来た道