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山本富士子

  • Yamamoto Fujiko
  • 出演
本名
出身地 大阪市西区立売堀(いたちぼり)の生まれ
生年月日 1931/12/11
没年月日

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略歴

大阪府大阪市の生まれ。母・山本勝代は“山重”という屋号の大阪・船場の棉花問屋の家に生まれ、結婚して一男二女をもうけるが離婚。富士子が9歳の時に、娘ふたりを連れて実家に戻る。姉ともども声楽のほか、花柳禄之助について日本舞踊を習う。1944年、府立泉大津高等女学園へ入学。戦争中とあって彼女も勤労動員に狩り出されたりしたが、工場に行く時もクラスメイトがモンペを履いている中で、彼女は麻地のスラックスを履くモダンでお洒落な女学生だった。終戦後は、住んでいた家が駐留軍に接収されたため、京都の元旅館に引越す。京都府立第一高等女学校(現・鴨沂高校)の3年に編入。小さい時から茶目っ気があり、学校の禁止令をよそにダンスのレッスンを受けたりパーマをかけたりと、戦後の解放された時代を謳歌した。級友たちが「胸の痛くなるような美人」と言うくらいの美貌で、自分でもそれを意識して、学校の休み時間には必ずトイレの鏡に顔を映して見るという具合だった。48年9月、母が再婚。姉妹は新しい父によく親しんだ。49年、高校を卒業し藤川学院へ通い、洋服のデザインを習ったり、京都YMCAで英語の勉強をしたりする。50年3月、読売新聞社、中部日本新聞社、西日本新聞社が主催してミス日本を募集。この前年、富士子の姉が地元新聞の主催によるコンクールでミス京都に選ばれていたことから彼女を強く推し、ミス京都に選ばれて、東京での本選でも見事にミス日本の栄冠を得る。同年末、京都の著名人の旦那芸を披露する会に引っ張り出され、弁天小僧の役で特別出演。その美貌を初めて観客の前に現した。翌51年6月、彼女と準ミスふたりの3人の乙女がアメリカへ親善使節として旅立つ。富士子は英語でスピーチしたりして周囲を驚かせ、54日間に及ぶ日程を無事にこなして帰国する。帰国後は映画会社各社から誘いを受けたが、最も強く勧誘した大映に入社。「演技らしいものができないのに、お金をたくさん貰うわけにはいかない」と無理な契約金は要求しなかったが、その代わり3年経って一人前になったら自由契約にしてもらうというのが条件だった。53年、京都撮影所の所属となり、4月29日封切の森一生監督「花の講道館」で女優デビュー。長谷川一夫扮する柔術家の師匠の娘役で、純情可憐だがあまりメソメソしない明るい役だった。次いで「関の弥太ッぺ」「丹下左膳」などの時代劇が続くが、“天下の美女”のスタートとしては良い作品に恵まれず、彼女自身も演技が硬く、まだミス日本の後光を背にしての出演と言ってもよかった。彼女自身は現代劇を希望し、その意を酌んで島耕二監督「浅草物語」53に主演。男に捨てられ発狂した姉の復讐のために不良少女となって復讐を果たし、自らも死ぬという気性の激しい役だったが、「不良少女になりきれていない」と指摘されるなど、熱望した割には不満足な結果となった。次いで「にっぽん製」53、「金色夜叉」「月夜よりの使者」54でヒロインを演じるなど、53年は10本、54年は8本に出演と、大映の売り出し政策に乗ったが人気は出なかった。そんな中でようやく彼女にとっての最初の代表作が生まれる。泉鏡花原作、衣笠貞之助監督の「湯島の白梅」55。相手役は若手二枚目の鶴田浩二で、日本画から抜け出たような、美人が最も美しく見えるポーズの数々を衣笠にみっちり仕込まれたことによって、彼女は初めて本当に女優らしい女優になったのである。衣笠には引き続き起用され、「新・平家物語/義仲をめぐる三人の女」56で長谷川一夫の木曽義仲をめぐる3人の女のひとりを、京マチ子、高峰秀子とともに演じる。さらに彼女を単なる美人スターから、個性、演技力ともに第一級の位置に押し上げたのは吉村公三郎監督「夜の河」56である。京都の染物屋の娘で染色工芸家として自立している山本が扮する女性と、中年の大学教授との恋愛を描いた作品。彼女は男に対して自主性を持っており、愛するのも別れるのも自らの自由な意思で行動するという、日本の恋愛映画史上、稀有なヒロイン像を構築する。山本は京都の女であれば地でいけるという以上に、男に従属しない誇り高い女、しかも愛嬌もお色気も充分にあって、近代的で爽やか、凛とした気品もあるという見事な女性像を作り出した。この作品で名実ともに日本映画の代表的なスター女優のひとりとなる。次いで、泉鏡花原作、市川崑監督の「日本橋」56で淡島千景と、衣笠監督「月形半平太」56では長谷川一夫、京マチ子と共演するが、いずれも大女優を相手に勝るとも劣らず、山本富士子の時代が来たことを思わせた。吉村監督の「夜の蝶」57では、京を相手に悪女的女性を演じたが、活力にあふれ鮮やかな演技を披露。増村保造監督「氷壁」58では若い純情な男たちに慕われる、憂いに沈む上流階級の人妻を印象的に演じた。オールスター大作「忠臣蔵」58では浅野内匠頭の妻・瑤泉院を演じ、京マチ子とほとんど肩を並べる地位に上ったことを知らしめた。56年と57年の契約更改では2本の他社出演が認められており、58年になってやっと松竹の小津安二郎監督「彼岸花」に出演。これは「夜の河」「夜の蝶」「氷壁」を観た小津監督の希望だった。彼女の役は京都の旅館の娘で、いわば狂言回し的な役どころだったが、小津は彼女を美しく撮ると同時に、品のいいお茶目っぷりを巧みに引き出し、大映映画にはない魅力を見せたのだった。大映では衣笠監督「白鷺」58で三度目の鏡花ものに取り組み、「彼岸花」の好演と合わせてブルーリボン賞女優主演賞を受賞。鏡花ものでは60年にも衣笠監督「歌行燈」に主演、新味こそないが、最高の日本調美人として定評のある彼女の十八番の世界となった。島耕二監督「細雪」59では美しい大阪の旧家の四人姉妹の三女に扮し、長女・轟夕起子、次女・京マチ子、四女・叶順子と共演する。59年には二度目の他社出演となる東宝の豊田四郎監督「暗夜行路」に出演。出生の秘密に悩む主人公・池部良の妻の役で、ここでは自分の犯した性のあやまちのために夫に引け目を感じる人妻。豊田監督に要求された本格的なリアリズム演技によく応えた好演だった。翌60年、再び豊田四郎に招かれて、永井荷風原作の「東綺譚」に主演。戦前の東京・向島が舞台で、私娼窟・玉の井の娼婦・お雪の役は、彼女にしてみると初めての最下層の役だが、演技力でそれなりに巧みに演じたものの、育ちの良さそうな根は隠しようがなく、その意味ではミスキャストと言われた。同年、市川崑監督のオムニバス「女経」の第2話「物を高く売りつける女」の謎めいたヒロインの演技を含めて、キネマ旬報賞女優賞を受賞。61年には井上靖原作、五所平之助監督の「猟銃」、市川監督「黒い十人の女」に出演する。この間、歌うスターとしても、56年に『湖畔の雨』『早春エレジー』を発売。以降も古賀政男のもとで数曲出すが、成功はしなかった。しかし、古賀の養子分となっていた作曲家の古屋丈晴と知り合い、62年4月25日に結婚する。結婚を間に挟んで、70ミリ大作の「釈迦」61と「秦・始皇帝」62に顔見世出演したのち、市川監督「私は二歳」に船越英二と夫婦の役で主演。安サラリーマンの奥さんで、家庭で赤ちゃんを育てる母親役という平凡な役だったが、日常生活の感情のひだをきめ細かく演じた。次いで長谷川一夫映画出演300本記念となる市川監督の「雪之丞変化」63に出演。この絢爛たる大衆娯楽時代劇に華やかな彩りを添えた。そして、四度目の豊田監督「憂愁平野」63に出演。しかし、大映では彼女の他社出演を了承していたものの、“五社協定”で主演スターの他社出演はさせないという原則条項をタテに他社の社長から横槍が入り、にわかに雲行きが怪しくなった。63年1月、契約更改で山本は大映2本、他社2本の優先本数を主張するが、話し合いはつかずフリーを宣言。“五社協定”に反旗を翻したことで、当然のようにそのしっぺ返しを受ける。映画はおろか、舞台、テレビの出演まで道を閉ざされたのであった。7月に予定していた歌舞伎座出演、翌64年の東京宝塚劇場公演がともに流れ、TBS東芝日曜劇場『かげろふの日記遺文』も流れた。しかし、テレビ各社には映画会社のプレッシャーは強く届かなかったのか、同年7月の東芝日曜劇場『明治の女』に出演。24.5%という高視聴率を稼ぎ、以降もフジテレビ『お母さんの骨をもらって歩けた』63、『にごりえ』64、TBS東芝日曜劇場『愛する』63などが軒並み高視聴率を叩き出す。63年12月には、彼女の芸能界締め出し状態をめぐって、大谷雄参院法務委員が人権問題として調査に乗り出したとの報道記事も出たりした。64年4月の新歌舞伎座公演で松本幸四郎と共演。やっと彼女の突破口は開かれたのである。以後は、舞台を中心として活躍。新歌舞伎『絵島生島』64、『皇女和宮』67、『夜の河』69、『みだれ鼓』76、『湯島の白梅』79、東京宝塚劇場『国姓爺合戦』64、『おさん茂兵衛』65、『十六夜清心』76、日生劇場『オンディーヌ』65、明治座『春琴抄』66・82・90、『静御前』72、『徳川の夫人たち』74、『浪花かんざし』77、『まひる野』79、『開花楼おえん』83、『お吟さま』85、『春雪の唄』87・95、『おえんさま』88、『すみだ川恋唄』89、『鶴来屋おゆう』93、『明治おんな橋』01、『日本の心、雨情のこころ』06など多数があり、『吉野太夫の恋』は400回以上の上演回数を誇る。容姿の美しさもさることながら、極めつけの声の甘さも次第に芸の厳しさに洗い流されて、堂々たる舞台姿を披露する。2001年紫綬褒章を受章。テレビドラマはほかに、TBS東芝日曜劇場『女の足音』65、『紙の女』68、『夏の別れ』81、『大文字はもう秋』82、日本テレビ『おけいちゃん』66、『時雨の記』79、『愛・かなしくても愛/伯爵夫人の肖像』86、フジテレビ『雪やこんこん』68、『春の雪』『吉野太夫』70、『鎌倉はるなつ』75、NET(現・テレビ朝日)『女身』71、『白鷺』74、NHK『夜の河』72、テレビ朝日『砂の影』80など多数がある。日本映画界は自らの手で、この稀に見る素質に恵まれたスター女優を映画界から排除してしまう愚行をあえて行なったわけだが、彼女はそれに屈せず、持ち前の芯の強さで試練を乗り切り、新しい道を切り開いてきた。その後、大映は消滅し、彼女を苦しめた“五社協定”なる言葉もいつの間にか過去の遺物となった。しかし、騒動から半世紀近くが経過した2011年現在に至るまで、山本は映画界へ復帰してはいない。

キネマ旬報の記事

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1963年1月上旬新年特別号

特写グラビア:ポート・スター 山本富士子

1962年1月下旬正月特別号

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1961年9月上旬号

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1961年5月下旬号

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恭子対談 おたずねいたします:4 [答える人] 山本富士子

1961年2月上旬ベスト・テン総決算特別号

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1960年9月上旬号

クローズ・アップ:山本富士子

1960年1月上旬新春特別号

山本富士子:

日本映画好敵手論:山本富士子・有馬稲子論

1958年12月下旬号

短篇映画紹介:織物の町

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次代への新しい個性:山本富士子

1957年増刊号 名作シナリオ集 初夏秀篇をそろえて!

表紙:山本富士子

1957年2月上旬特別号

ベスト・テン30回に寄せる:

1956年9月下旬号

山本富士子:

1955年9月上旬号

特別口絵:山本富士子

1955年増刊 日本映画大鑑 映画人篇

グラフィック:山本富士子

1954年7月下旬号

特集グラフィック 映画人クロースアップ:山本富士子