鬼怒川べりの村の春。小学六年生の奥山えつ子は、タンポポの綿毛を一息で吹きとばせば新しい着物が貰えるという童話をきかされた。それを読んでくれたのは日高恒夫である。彼の父三平は結城袖の図案家で、えつ子のお母さんは袖の名うての織り手であった。田植の終った日、えつ子の母マサは足の傷がモトで破傷風になり、死んでしまった。残された奥山一家の四人兄妹と祖母のツネは長男正司を中心に生活にぶつかっていった。マサが命とひきかえに残していったカタミの稲を守り、正司とえつ子は野菜を市場に運んでマサの新盆の用意をしたりした。七夕祭りの日が来て、兄妹たちは三平おじの家に呼ばれたが、正司はこの夜も田んぼの水はきに忙しかった。稲の刈入れどきには農繁休みでみどりを始め正司の同級生が十数人も応援に来てくれた。やがて奥山一家は三反七畝の水田から二十五俵の収穫をあげ、割当の十六俵をとどこおりなく供出した。ところが思い掛けずも村の供出完納のトップになり、県知事から表彰状やピカピカの自転車をもらった。これは村中のうわさになったが、兄妹は貧乏がひどくなるので少しも嬉しくなかった。春が来て正司は中学を卒業した。しかし妹たちの進級や入学で生活はますます追いつめられ、遂に正司は東京へ出稼ぎに行った。すると村では正司が夜逃げして東京で泥棒をしているんだというウワサが拡った。うわさの主は大百姓の文助じいさんらしい。えつ子は心配して東京へ尋ねて行ったが逢えずじまいたった。だが、やがて来た七夕の夜、小学校でのニュース映画会に地下鉄工事をしている正司の顔が大きく映った。拍手の嵐で文助じいさんが逃げだしたあとに、奥山兄妹の顔が明るく輝いていた。