元禄十三年、勅使饗応役浅野内匠頭は生来の一徹さから、江戸城内で吉良上野介に斬りつけたが果さず、即刻切腹、お家断絶の処分をうけた。上野介の子綱憲の養子先、上杉家の家老千坂兵部は家臣小林平七を通して知った浪人堀田隼人と大泥棒の蜘蛛の陣十郎を、隠密として赤穂に放った。浅野家の城代家老大石内蔵助は赤穂城明け渡しを済ませると、妻子と別居し、京の遊里で放蕩三昧の明けくれを送った。浪士たちは或は江戸に、或は他藩に、それぞれの生活を求めて離散したようだが、お家の安泰を願う千坂は気を許さず、小林平七を吉良家に付け人として送るほどの用心深さだった。ひそかに大石の蹶起を待つ五十余名の同志の中にも、昼行灯の噂そのままの大石の行状に不信を抱いて脱落する者も尠くない。それでも、江戸市中では町人に身をやつして仇敵吉良家の動静を探る浪士もあった。やがて舎弟大学の取り立ての儀は許されず、主家再興の望みも全く断たれたと知って、大石は江戸に向うが、名古屋本陣での立花左近の情けほど、大石の心をうったものはなかった。一方、早くも大石の動きを察知した千坂は、隼人に大石を斬らせて将来の禍根を断とうと図った。だが隼人ほどの腕も大石には刃が立たなかった。そして隠密の仕事に懐疑を抱き始めた隼人は、師走十四日夜半、山鹿流の陣太鼓が突如、凍てついた厳冬の町に鳴り響いたとき、寝返りを打った。上杉家へ走ろうとする目明し金助を斬り伏せたのだ。かくて四十七士は首尾よく本懐をとげろことができた。もはや生きる望みを見失った隼人は、女間者お仙と姿を消した。その朝、泉岳寺に向う浪士たちを、深編笠の武家が見送っていた。それは千坂兵部であった。