小高い丘の分教場で小使をしながら細々と暮らしている勘作、お浜夫婦のもとに病弱な次郎が預けられてから早くも七年、夫婦はわが子より可愛い腕白ざかりの次郎を、心ならずも村一番の旧家本田家に返さなければならぬ日が来た。手許に引き取ったものの勝気な生みの母民子と祖母は、次郎がすこしも自分たちになじまないのは蔭でお浜が入れ智恵するからだと邪推し、長男の恭一や三男俊三よりもきびしく躾けようとするが、祖父と父俊亮は何かにつけて次郎をかばうのだった。次郎が小学校へ入学してまもなく、祖父は世を去った。屋敷を人手に渡した一家は町でささやかな酒屋を開業することになり、次郎だけは民子の実家にあたる正木家に引きとられた。やがて、病に倒れた民子らも正木家に帰って来るが、次郎の心からの看護はどんなに母を喜ばせたことであろう。秋風が吹き初めるころ、容態が急変した民子は、駈けつけたお浜に詑びながら息を引き取った。中学へ入るようになって、次郎は再び本家へ帰った。新しい母のお芳を次郎はどうしてもお母さんとは呼べなかった。お浜の娘お鶴が女中として住込むようになったのも、そのころのことである。修学旅行の宿で初めてお芳の深い愛情に心うたれた次郎は、土産物を抱えて「お母さん!」と叫びながらわが家へ駈け込むのだった。そして、次郎を抱きしめるお芳の眼にも、涙がキラキラ光っていた。