昭和十一年七月、日本最初のプロ野球公式試合、巨人対阪神戦が行われ、巨人軍の沢村投手は人気を一身に集めていた。スタンドから彼を見守る美しい女性、米井優子と沢村はやがて交際を始め、次第に固く結ばれていった。昭和十二年、日支事変が勃発し、選手達を兵隊にとられ、プロ野球は打撃をうけた。九月、後楽園での対阪神戦のマウンドに立った沢村は、優子の姿が見えない為に、投球のコントロールを失ってしまった。一方、優子は夏休みで大阪の家へ帰り、プロ野球に無理解な父のきびしい監視の下にあった。入営前の最後の選手権試合に西下した沢村は、球場に来た優子と会い、誤解もとけ、結婚の約束をし、最後の試合に悔いのない好投をした。沢村の除隊を待つ優子は、父に結婚を強制され、沢村の手紙を握りつぶされ、ついに大連の叔父光雄の許に出奔した。昭和十四年、除隊した沢村は、巨人軍に復帰したが、彼の投球には昔の面影はなかった。暗い気持で合宿所へ帰ると、大連の叔父に連れられた優子が沢村の帰りを待っていた。野球に自信を失った沢村は優子も、投手もあきらめようとしたが、優子は愛情をこめてはげました。優子との結婚を機に、沢村は再び昔に勝る好調をとりもどした。昭和十六年、再び召集された沢村は、カムバックを誓って立ったが、三年後フィリッピンで戦死した。巨人軍は沢村の背番号十四を永久欠番とし、彼の功績をたたえている。