静岡県選出参院補欠選挙の発表の日、朝陽新聞静岡支局へ富士山麓の野田村の一少女から、同村で行われた替玉投票の事実を訴えた投書が舞い込んだ。支局長は吉原通信部の本多記者に、早速この事実の調査を命じた。本多は野田村在の吉川一郎の娘、富士原高校に在学する満江がこの投書の主であることを確めたが、これを知った同村ボス山野の手配で厳しく口どめをされた村民たちからは何一つ手がかりを得ることが出来なかった。しかし、根気よくこの村へ通っている間に、本多は一老人の口から竹山集落の違反の端緒をつかみ、村役場で確証を握った上、このことを記事にして支局へ送った。これが朝陽新聞に報道され、司法局がこのため活動を開始したと知って村民は色を失い、その反動が、投書の主満江一家の上にふりそそがれた。学校の校長までが、満江の行動を遠まわしにいましめたり、村人からは村八分の扱いをうけた。女教師香山と、本多記者は満江をなぐさめはげましてくれ、本多記者が一家迫害の事実を再び記事にして発表したことから新聞、ラジオ、雑誌記者が村に殺到して更に騒ぎは大きくなった。しかし満江たちへの村人の反感はそれで一そう激しくなった。が、一方、純真な学校の生徒たちは生徒大会で満江を支持する者も多く、自分の非を悟った佐野村長は村の汚名を返上しようと立ち上ったが、因習的な政治力をバックにする村のボス達の策動で罷免された。満江一家は耕作期をひかえて手も足も出ない。そんな一日満江を支持する生徒たちの一団が畠の手伝いに自転車をつらねてやって来た。そのなかには香山先生の顔もあった。満江の父も、はじめて生気をとりもどし、畑へとび出して行った。