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武士道残酷物語

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  • 平均評点

    72.0点(61人)

  • 観たひと

    102

  • 観たいひと

    9

  • レビューの数

    18

基本情報

ジャンル 時代劇
製作国 日本
製作年 1963
公開年月日 1963/4/28
上映時間 122分
製作会社 東映京都
配給 東映
レイティング 一般映画
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ モノクロ/シネスコ
メディアタイプ フィルム
音声
上映フォーマット 35mm

スタッフ

監督今井正 
脚色鈴木尚之 
依田義賢 
原作南条範夫 
企画辻野公晴 
小川貴也 
本田延三郎 
撮影坪井誠 
美術川島泰三 
音楽黛敏郎 
録音渡部芳丈 
照明和多田弘 
編集宮本信太郎 
スチル鈴木一成 

キャスト

出演中村錦之助「飯倉次郎左衛門の章」飯倉次郎左衛門
東野英治郎「飯倉次郎左衛門の章」堀式部少輔
明石潮「飯倉次郎左衛門の章」家老
中村錦司「飯倉次郎左衛門の章」家臣一
長島隆一「飯倉次郎左衛門の章」家臣二
和崎隆太郎「飯倉次郎左衛門の章」家臣三
那須伸太朗「飯倉次郎左衛門の章」松平信綱
徳大寺伸「飯倉次郎左衛門の章」浅井嘉兵衛
中村錦之助「飯倉佐治衛門の章」飯倉佐治衛門
渡辺美佐子「飯倉佐治衛門の章」妻やす
織田政雄「飯倉佐治衛門の章」下僕吾平
波多野博「飯倉佐治衛門の章」下僕六助
片岡栄二郎「飯倉佐治衛門の章」寺田武之進
北龍二「飯倉佐治衛門の章」側用人
中村錦之助「飯倉久太郎の章」飯倉久太郎
荒木道子「飯倉久太郎の章」母しげの
森雅之「飯倉久太郎の章」堀丹波守宗昌
東恵美子「飯倉久太郎の章」堀丹波の奥方
岸田今日子「飯倉久太郎の章」萩の方
香川良介「飯倉久太郎の章」上月源左
沢村精四郎「飯倉久太郎の章」七三郎
中村錦之助「飯倉修蔵の章」飯倉修蔵
有馬稲子「飯倉修蔵の章」妻まき
松岡紀公子「飯倉修蔵の章」娘さと
島村徹「飯倉修蔵の章」嫡子十次郎
山本圭「飯倉修蔵の章」野田数馬
江原真二郎「飯倉修蔵の章」堀式部少輔安高
柳永二郎「飯倉修蔵の章」静田権之進
佐藤慶「飯倉修蔵の章」近藤三郎兵衛
水野浩「飯倉修蔵の章」江戸家老
成瀬昌彦「飯倉修蔵の章」田沼意知
国一太郎「飯倉修蔵の章」佐野政言
有馬宏治「飯倉修蔵の章」田沼側用人
河原崎長一郎「飯倉修蔵の章」村の若者
松浦築枝「飯倉修蔵の章」老女
中村錦之助「飯倉進吾の章」飯倉進吾
加藤嘉「飯倉進吾の章」堀高啓
木村功「飯倉進吾の章」井口広太郎
丘さとみ「飯倉進吾の章」ふじ
川合伸旺「飯倉進吾の章」下田
中村錦之助「飯倉進吾の章」飯倉修
原田甲子郎「飯倉進吾の章」指揮官
中村錦之助「飯倉進の章」飯倉進
三田佳子「飯倉進の章」人見杏子
西村晃「飯倉進の章」山岡
山本みどり「飯倉進の章」アパート管理人初子
小川虎之助「飯倉進の章」木原重役

解説

南条範夫原作「被虐の系譜」を「宮本武蔵 般若坂の決闘」の鈴木尚之と「女系家族」の依田義賢が共同で脚色、「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」の今井正が監督した残酷時代劇。撮影は「一心太助 男一匹道中記」の坪井誠。

あらすじ

日東建設の営業部員、飯倉進は婚約者の人見杏子が自殺を計ったとの知らせに、眠っていたある記憶を呼びおこした。故郷信州の菩提寺で発見した先祖の日誌に記された、世にも残酷な話のことである。【飯倉次郎左衛門の章】関ヶ原合戦後、浪々の身であった飯倉次郎左衛門は信州矢崎の小大名堀式部少輔に拾われた。寛永十五年主君と共に島原の役に服した次郎左衛門は、一揆勢に黒田屋敷を焼かれた科で幕僚から叱責を受けた式部少輔の罪を被り、本陣門前で割腹して果てた。【飯倉佐治衛門の章】乱後三年、近習に取立てられた伜佐治衛門は衷心をもって病床の式部少輔に仕えたが、勘気にふれて閉門を命ぜられ加増分を召上げられた。しかし、佐治衛門の忠心は変らず、ほどなく死亡した式部少輔の後を追って切腹した。【飯倉久太郎の章】時代は元禄、江戸遊学中の佐治衛門の孫久太郎は時の藩主丹波守宗昌の眼にとまりお手付小姓となったが側室萩の方との仲を疑われ、男色に狂う宗昌の命で羅切りの酷刑にかかり果てには萩の方を妻にもらいうけ信州に帰った。【飯倉修蔵の章】天明期に移り、全国各地天災地変がおこり農民達は苛斂誅求に苦しんでいた。時の飯倉家当主修蔵は奉納試合で秘剣“闇の太刀”を披露し藩主安高に褒美を貰い、娘さとと野田数馬の祝言も決まるなど幸福の絶頂にあった。同じ頃、藩を脱け出した農民五名が江戸の老中田沼意知に直訴した。安高は国家老の勧めに従い美貌のさとを賄賂として献上、五人の濃夫を鋸引きの刑に処し、その上修蔵の妻まきを慰みものにしようとしたため、まきは自害した。閉門蟹居中の修蔵のもとに意知の死でさとが下って来たが、数馬との邂逅が安高の目にふれ二人は不義密通の科で捕えられた。耐えかねた修蔵は諌言を決意して陣屋に赴くが、安高は修蔵が得意の“闇の太刀”で罪人を斬れば許してやると目隠しをし、剣を握らせた。一瞬、見事打ち落した首はさとと数馬だった。修蔵は太刀を腹に突き刺すとその場に伏した。【飯倉進吾の章】時代は明治と変り、時の飯倉当主進吾は青雲の志を抱いて上京、気が狂った最後の藩主高啓の面倒を見て車曳をしながら勉学に励んでいたが、将来を誓いあったふじの体を高啓に奪わてしまった。進吾は悩んだ揚句病床の高啓の元へふじを通わせる決意をするが、その時、高啓は階段からころげ落ちた。その後、進吾はふじと所帯を持つが、身重の妻を残して日清戦争で戦死した。【飯倉修の章】その子、つまり進の父に当る多津夫は満州事変で戦死。進の兄修も第二次大戦に特攻隊員として戦死した。【飯倉進の章】そして現代、進は上司山岡営業部長に杏子との仲人を頼んだところ、信州ダムの入札に関する競争会社飛鳥建設の情報を盗むよう言われた。飛鳥建設のタイピストを勤める杏子はしぶしぶ承知した。程なく入札は進の日東建設の勝利に終った。乾杯の席上で進は山岡に結婚を延期するように勧められた。理由は式場に飛鳥建設の木原重役が出席するというだけのことだ。杏子の悲しみと怒りは睡眠薬服用というかたちで進を責めた。あの残酷な歴史、かくは生きまいと誓った進がそれをくり返していたのだ。進は意識を取り戻した杏子と二人だけで結婚する決心をした。

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