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  • 日本映画のススメvol12 追悼特集 2013年上半期に亡くなられた映画人たち 特集1 コラム「2013年上半期、逝きし映画人 文=浦崎浩實」
  • 特集1 コラム「2013年上半期、逝きし映画人 文=浦崎浩實」
  • 特集2 出演映画で故人をしのぶ 文=編集部

大島渚、三國連太郎、夏八木勲……と、この2013年上半期、「日本映画界の至宝」と呼ぶべき方々がお亡くなりになりました。たいへん残念でなりませんが、救いはあります。彼らは映画の中で、永遠に生き続けるからです。

今月の「日本映画のススメ」は、哀悼の想いを込めました「追悼特集  2013年上半期に亡くなられた映画人たち」です。特集①では、浦崎浩實さんによるコラムを読めます。特集②では、今年亡くなられた映画人たちに、観れば出会える映画作品をご紹介します。

大島渚と三國連太郎の孤独な戦い

映画作品というかけがえない遺産を生み落して、亡くなっていく方々。なにも富士山だけがエラいのではないのです。

往年のハリウッド映画に、富豪が自邸に映写室を持ち、映写技師は秘書の役割だったのか、お気に入りの映画を誰にも邪魔されずに鑑賞するシーンがあったが、ということはプリントも(金にものを言わせて)入手できたわけですね。

かつては飛びきりの富豪のみが味わえたらしい精神的贅沢を、今はあなたも私もその点では富豪と(ほぼ)同等。ある意味、これは“民主主義”の華々しい実現かも。

2013年前半に亡くなられた方々の“遺産”をご紹介しなければならないが、民主主義という言葉で私たちを奮い立たせるのはまず、大島渚監督、三國連太郎のご両所。

大島渚(1932年3月31日生れ、去る1月15日歿)の登場の前と後では、映画製作の立ち位置が違うはずなのだ。個人映画や実験映画は別にして、映画を映画会社という資本主義の産物から解放し、個々の自由の、表現の結集たらん、としたこと。

フランス・ヌーヴェルヴァーグという先鞭があるとはいえ、そして日本映画界においてもその草創期から、映画会社の資本的拘束から自由であろうとしたマキノ省三がいたし、敗戦後の独立プロ運動の賑わいも、資本のしがらみからの“独立”を目指したものであったろうが、ただ、大島渚(たち)のそれは、先行者(?)と微妙に違って、世の動向や価値観に恃むところのない、孤独な戦いだったように思えてならない。

青春残酷物語©1960 松竹株式会社

「日本の夜と霧」(60)や「天草四郎時貞」(62)の、商業映画への“呪いの刺客”のごとき、輝きよ。他方で松竹「愛と希望の街」(59)、「天草四郎時貞」(62)の、商業映画への“呪いの刺客”のごとき、輝きよ。他方で松竹「青春残酷物語」(60)や創造社「少年」(69)、「儀式」(71)など古典的謹厳な作品があり、また商業映画系で公開された創造社「白昼の通り魔」(66)その他、モラルの向こうのエロチシズムへの強烈なシンパシィなど、旗幟鮮明な社会対決の秀作や実験作とバラエティに富む。

「この人たちが日本映画をダメにしたんだ」とTVに登場する大島を、作家の村田喜代子氏だったか、以前、評していたように思うが、当の大島監督も「天草四郎時貞」の興行的惨敗を受けて、メディアにこう発言していたと記憶する。「私の作品の理解者は100名いればいい!」と。

映画作家・大島渚は今後も、伝統と前衛、勝利と敗北、正と負、といったアンビバレンツな存在として語られるだろう。真の芸術家がそうであるように。

この大島作品に「飼育」(61)で一度だけ出演している三國連太郎(1923年1月20日生れ、去る4月14日歿)氏は、大島が大酒飲みで驚いた、と言っているが、大島自身は、その大酒は緩慢な自死願望かも、と自己批評している。

三國も“伝説”豊かな俳優だが、伝説でなく真実として言えそうなのは、彼の出演映画に愚作はない、らしい(180作余、全て観ているわけではないので)という厳粛さである。三國は、映画会社という体制と戦い、監督の独裁と戦い、共演者の独善(!)と戦い、と映画1作に満身創痍を厭わなかったようだ。

俳優ほど孤独な職業が他にあるだろうか、という彼のつぶやきは独りよがりなものではないと思われる。その孤独の深淵から生み出された比類ない作中の人物たちに、改めて涙せずにいられず、再見、再々見に値するのは間違いないが、「大病人」(93)が今となっては当人と直線的に重なって、ひと際切ない。

様々な存在感を見せてくれた女優・男優たち

男はつらいよ©1969 松竹株式会社

光本幸子(1943年8月25日生れ、去る2月22日歿)は、“寅さん”シリーズの輝かしい初代マドンナ。シリーズ全48作のマドンナの“光源”は、彼女なのである。数の上で、浅丘ルリ子のマドンナ4度登板には負けるものの、身を固めた後も(映画の中で)、計3作、その子の成長とともに登場(老け知らず!)したのは、光本だけ。

そう、オトコは(女も?)“最初の人”を超えられない、という寓意が彼女に託されていそうである。白めの和服の似合う、清楚で優しくて、コケティッシュな光本マドンナよ、永遠なれ!

坂口良子(1955年10月23日生れ、去る3月27日歿)は、東宝“若大将”シリーズの、星由里子酒井和歌子の後を受けた(加山の)3代目マドンナ。ご存じのように“若大将”は加山雄三から、大矢茂を経由して草刈正雄に一旦、リレーされたものの、再び加山にリターン。その際、草刈の2代目マドンナ坂口良子も加山に“転籍”されたのだった。こう言ってはなんですが、3代目(2代目という勘定の仕方もあろうが)のいわば“お古”を初代が(である!)貰い受けるというのは、ヒロインの地位の高まり、女性の強さを象徴しているのかもしれない。

「帰ってきた若大将」(81)の坂口はキャリアウーマンらしく、パンタロン姿で溌剌とTVプロデューサーを演じているが、坂口良子が広い年齢層から愛された役といえば、「犬神家の一族」(76)の旅館の女中役がある。さして大きな役ではないものの、明るく素直だが、はっきりした自分の気持ちがあって、話を急かす石坂浩二=金田一探偵にむくれたりするのが愛らしい。享年57に胸が痛む。

白夜の死角©東映

本郷功次郎(1938年2月15日生れ、去る2月14日歿)は、時代劇や現代劇のシリアスな役や軽妙な役から、大映特撮怪獣もののリーダー的な役まで、大映後期から末期の命運を託されたスターだった。日本初の70ミリ映画で大映オールスターの社運のかかった「釈迦」(61)では、タイトルロールとして超大作を支えていた。

夏八木勲(1939年12月25日生れ、去る5月11日歿)は一時、角川春樹・角川映画社長(当時)の勧めで、夏木勲と改名したが、8年後に(強靭そうな)この本名に戻っている。時代劇であれ、現代劇であれタフネスな役が多いが、「白昼の死角」(79)でインテリのニヒルな知能犯を主役し、2時間半ある長丁場の映画を力演、秀作にしている。なお、三島由紀夫の小説『青の時代』は、この事件の“前日談”に相当しよう。

井上昭文(しょうぶん、1927年8月22日生れ、去る1月28日歿)には日活映画の“脇”として重宝された時代があり、面長で顎のしゃくれた風貌は、刑事に良し、ボクサー崩れのギャングに良し。やくざの舎弟や教師役もあるが、異色(?)は「伊豆の踊子」(63)の、同宿の学生(高橋英樹)に暇つぶし将棋をつきあわせる役だろうか。反物の行商人で、鼻眼鏡がおかしく、人がよさそうで、ずるそうで、といった庶民性がしみじみ出ていた。

ご冥福を祈ります。