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  • 特集2 「芥川・直木賞x映画」な十三作
  • 特集1 コラム「芥川賞・直木賞とその映画化」
  • 芥川賞・直木賞とその映画化 文:西脇英夫

  • 日本映画のススメVol11 芥川・直木賞x映画 特集

昨今、文学賞を受賞した文学作品がたくさん映画化され、人気を博しています。とりわけ有名な芥川賞や直木賞を受賞すれば、もはや、映画にならないほうが不思議なほど! 次回の両賞は7月に発表予定なので、文学ファンだけでなく映画ファンも要チェック! というわけで、今回の「日本映画のススメ」のテーマは、“芥川・直木賞×映画”です。

特集①は、映画評論家の西脇英夫さんによるコラムです。特集②では、芥川賞または直木賞受賞作品が原作の映画13作品をご紹介します。

創設当初から映画との結びつきが深かった芥川賞・直木賞

芥川賞、直木賞と映画の結びつきは創設当初からきわめて深かった。1935年の第1回芥川賞受賞作『蒼氓(そうぼう)』(石川達三)は熊谷久虎(37年)により、同回直木賞受賞作『鶴八鶴次郎』(川口松太郎)は成瀬巳喜男(38年)によってそれぞれ映画化された。共に名作の誉れ高く、当時のブラジル移民の姿を描いた前者はキネマ旬報ベストテン第2位に選出され、新内語りと三味線弾きの夫婦愛を描いた後者は溝口健二に迫る芸道物の古典として再映画化(56年、大曽根辰夫)されている。

また、第5回(37年)芥川賞受賞作『暢気眼鏡』(尾崎一雄)は3年後に映画化(島耕二)され、第6回(37年)受賞作『糞尿譚』(火野葦平)にいたっては戦後になって映画化(56年、野村芳太郎)され、共にヒューマン・コメディの佳作となっている。一方、直木賞では第3回(36年)受賞作『武道傳來記』(海音寺潮 五郎)が同年に映画化(木村恵吾)され、第7(38年)受賞作『ナリン殿下への回想』(橘外男)が5年後、「進め独立旗」衣笠貞之助)のタイトルで映画化され、時節がら戦時色の強い作品となった。なお、他にも何作かあるが戦前の映画でもあり、今日観ることが困難な作品が少なくない。

戦後は4年ほど両賞が設置されることはなかったが、49年に選考が再開され、まず第23回(50年)直木賞受賞作『執行猶予』(小山いと子)を映画化(同年、佐分利信)、続いて、同受賞作『天皇の帽子』(今日出海)が映画化(同年、斎藤寅次郎)された。さらには、第26回(51年)芥川賞受賞作『広場の孤独』(堀田善衛)を映画化(53年、佐分利信)、第28回(52年)直木賞受賞作『叛乱』(立野信之)が映画化(54年、佐分利信)された。なお、これらの中で名優佐分利信が3作品の監督をつとめているのが興味深い。共に時事性、社会性の強い映画で、小説の主題を真摯に映像化した優れた作品に仕上がっている。

太陽の季節

センセーショナルな登場となった「太陽の季節」

それにしても一般大衆から見て直木賞はエンターテインメント、芥川賞は高尚で芸術的、おしなべて地味で暗いものといった印象が強く、映画人口が急増しているにもかかわらず、未だヒットにつながることはなかった。そんなとき、映画界にとってもセンセーショナルな小説が登場した。第34回(55年)芥川賞受賞作『太陽の季節』(石原慎太郎)だ。戦後世代を象徴する先鋭的な若者たちの姿を赤裸々に描いた本作は、スタートも後発でキャストもスタッフも寄せ集めの未熟な映画会社日活にとって、一条の光明であった。小説が出版された二ヶ月後には映画(56年、古川卓巳)が完成し、たちまち驚異的なヒットとなった。

ただし、湘南が舞台のドラマを映画化するにあたって困ったことがあった。スタッフもキャストもヨットの操縦や若者たちが使う湘南言葉を知らなかったのだ。そこで、慎太郎の弟の裕次郎が映画に参加することになった。といっても登場するのは数シーン。ところが、素人にもかかわらずそのアドリブ的な台詞回しと長身をもてあますほどの圧倒的な存在感が、平凡な風俗映画的演出とプロたちの画一的な演技の中でひときわ輝いて見えた。こうして、石原裕次郎というカリスマ的逸材を得て、以後の日活映画はアクション路線、青春路線へと大きく舵をきることになる。また、映画の成功は芥川賞に対するそれまでの偏見を粉飾し、時代を反映する鮮明な鏡として映画を牽引する力ともなっていったのだ。

続けて日活は、第37回(57年)受賞作『硫黄島』(菊村到を映画化(59年、宇野重吉)、以後、第39回(58年)受賞作『飼育』(大江健三郎)映画化(61年、大島渚)、第44回(60年)受賞作『忍ぶ川』(三浦哲郎)映画化(72年、熊井啓)、第46回(61年)受賞作『鯨神』(宇能鴻一郎)映画化(62年、田中徳三)、第51回(64年)『されどわれらが日々―』(柴田翔)映画化(71年、森谷司郎)、第61回(69年)受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫)映画化(70年、森谷司郎)と、各社が競うように試みた。また、ひとくちに芥川賞といっても戦争物、恋愛物、時代物、青春物と、時代の推移にともなってジャンルもさまざまであった。

江分利満氏の優雅な生活

知恵と工夫を遺憾なく発揮した「雁の寺」と「江分利満氏の優雅な生活」

一方、直木賞に目を向けると、第32回(54年)受賞作『ボロ家の春秋』(梅崎春生)映画化(58年、中村登)、第36回(56年)受賞作『お吟さま』(今東光)映画化(62年、田中絹代)、第39回(58年)受賞作『花のれん』(山崎豊子)映画化(59年、豊田四郎)、第40回(58年)受賞作『総会屋錦城』(城山三郎)映画化(59年、島耕二)、第42回(59年)受賞作『梟の城』(司馬遼太郎)映画化(63年、工藤栄一 )、第44回(60年)受賞作『背徳のメス』(黒岩重吾)映画化(61年、野村芳太郎)、同回受賞作『はぐれ念仏』(寺内大吉)映画化(62年、佐伯幸三)と、ほとんど毎回のように映画化されていったが、その中でも極め付きの話題作が第45回(61年)受賞作『雁の寺』(水上勉)と、第48回(62年)受賞作『江分利満氏の優雅な生活』(山口瞳)だった。

川島雄三が監督した「雁の寺」(62年)は、厳しい戒律で守られた京都の禅寺を舞台に、サディスティックな住職とその愛人との閨房を盗み見て、憎悪と欲望に身もだえする不遇な少年僧の心理と行動をサスペンスフルに描いた傑作で、監督独特の演出、映像表現が冴え渡り、官能美に満ちた文芸作品に仕上がっている。また、岡本喜八が監督した「江分利満氏の優雅な生活」(63年)は、大衆受けはしなかったものの、アニメーションや書き割りセット、ストップモーション合成といった画期的な映像表現を駆使して、大手企業に勤めるサラリーマンの姿を描き、戦中派の悲哀を戯画っぽく描いた快作である。そして「雁の寺」では愛人役の若尾文子の妖艶な美しさが、「江分利満氏の優雅な生活」ではサラリーマン役の小林桂樹の、山口瞳本人に似せた風貌と演技が印象的であった(なお、後者もまた川島で映画化するつもりだったが、川島が急死したため、急遽、岡本になったという)。

このように両作品共に、折り紙つきの優れた小説を映像化するための知恵と工夫を遺憾なく発揮した映画であり、こうした芥川賞、直木賞作品の映像化の試みはその後も年ごとに進化しながら、今日に至っている。漫画やテレビドラマの映画化とともに時代の映し鏡として、これからも日本映画の中で大きな位置を占めていくことだろう。