「三宅唱監督が描き出す無音の世界に生きる女性ボクサーと彼女に寄り添う人たちの優しさが見る者に気付きを与える」
やけに音がうるさい。電車の通過音、踏切の音、街の喧騒、いちゃもんをつける人の声。世の中は音に満ちている。その音にまったく反応できないケイコが、聞こえない無音の世界で生きていることを見る者に強く印象付ける。
ケイコを含めた、ろう者三人がカフェでお喋りをしている。手話で。しかし三宅監督は三人の会話に字幕をいれない。だからなにを喋っているのかわからない。聞こえないケイコと手話を理解できない聞こえる者が、まったく別世界にいる「境界」を表現することで、ケイコの生身を見る者にわからせている。
ボクシングの試合の後、目の上を切り顔がボコボコになっているケイコ。プロになっても他の仕事をしないと生活できない。次の試合に勝つという思いだけで日々辛いトレーニングをしている。ボクシングが楽しいという側面もあるだろうが、ケイコにはボクシングでしか自分自身を表現することができない哀切さが漂っている。ケイコだけではなく試合で戦った選手が試合後お互い暗い顔であいさつをかわす。そこには闘う者しか共有できない、もの悲しさがまとわりついている。
ケイコはボクシングを一時休もうと心が揺らぐ。休みたいと書いたメモを会長に渡そうとするが、会長がケイコの試合のVTRを熱心に見返している。ケイコはその姿を見て、自分一人で練習や試合をやっているのではなく、ケイコのハンデを理解し寄り添ってくれる会長やジムのトレーナーたちの存在に気付く。
岸井ゆきののすごさは、プロボクサーを体現したのはもちろんであるが、聞こえない人の日常やボクサーとして揺れる微妙な心持を演じていたほうが強く印象に残った。また三浦友和の柔和な態度、表情が、ジムを閉鎖するやるせなさ、ケイコにそっと寄り添う姿が、まるで親娘みたいな二人の絆と信頼関係の強さを体現していた。
誰もが一人では生きていけない。三宅唱監督は、ろう者としてハンデを持ちながらも、ボクサーとして生きる女性が、人に支えられ、新たな一歩を踏み出す決断をしたケイコをとおして見る者に思いやりの心と勇気を与えたのだ。