聴覚障がいのある女性プロボクサーが、ボクサーを続けることに迷いながらも真摯にボクシングに打ち込む姿を描く。
トレーナーとの息の合った練習は見応えがある。ただ、川の流れのような自然な展開に起伏があってドラマが生まれるとすれば、あえてそれを求めていない。起承転結の流れがない。そういう流れのない作り方をするというならそれはそれでいいのだが、たとえばロードワーク途中での健康がすぐれない会長との交流を描いたり、友人たちとのカフェでの語らいを主人公の一面を見せる説明的なエピソードとして挿入していて、ドラマしているじゃないかと、思ったりもする。
主人公の考え方とか生き方がはっきりしていれば説得力も生まれるだろうが、火花の散るような激しいスポーツをしていながら迷いの中に深く沈潜していくばかりで、「わたしはケイコだ」という主張はない。
それが青春というものだと言われれば、それはそうだろう。誰にとっても青春は輝かしいものではない。むしろ迷いの中でもがいている姿こそ若者の姿だろう。そんなケイコの青春ドラマなのだろうが。
ラストに、第3戦で勝った相手が唐突に現れて挨拶して去っていく、小さな取ってつけたようなシーンを入れて、なんだか吹っ切れたように走り出すケイコは寂しいじゃないか。