自分の心に正直に生きることと、守りたいもののために心を偽って生きることの境目は難しい。誰だって自分のやりたいことばかりが出来るわけではないし、かと言って自分の心と正反対の生き方を選ぶのは苦しい。
ロランスは30年以上も自分の体と心が正反対であることに苦しめられてきて、ある日意を決して恋人のフレッドに心の内を告白する。
彼はゲイとはまた違っていて、あくまで女性を恋愛対象として見ているが、自分の体が男性であることにずっと違和感を抱き続けていたのだ。
告白を受けたフレッドはいかにロランスの気持ちが自分に向いていたとしても、衝撃を受けて戸惑う。
性同一性障害という言葉からも分かる通り、ロランスの抱えている問題は心の病と定義されている。この作品で描かれる80年代後半から90年代にかけてはまだまだ偏見が多く、多様性を受け入れられない時代だった。
悩んだあげくフレッドはロランスを全面的に応援することを決意する。
初めの一歩は勇気がいるが、大学の講師であるロランスは思いきって女性の格好で教壇に立つ。
彼の姿を見て一瞬静まり返る教室だが、1人の女学生が彼に「臨時の講師の説明では分からなかったことがあるのですが」と何事もなかったかのように質問する。
ロランスの緊張が一気に解けた瞬間でもあり、観ているこちらも心が暖かくなる瞬間でもあった。
しかし世間の風当たりは冷たく、彼は結局大学を辞めなければいけなくなる。
ロランスとフレッドが朝食を取っている時に、年配のウェイトレスがロランスの姿に好奇心で色々尋ねるシーンは印象的だった。初めはちょっと無神経でお喋り好きなお婆さんという感じだったが、彼女は何故そんな格好をしているのかとしつこく聞いてくる。ロランスがバーで飲んでいる時にも、彼の格好に口出しをしてくる男がいたが、どの世界にも一定数は無神経な言葉を人に浴びせる人間はいるわけで、その一部の人間にいちいち反発していてもしょうがない。
しかしウェイトレスの態度にロランスではなくフレッドの怒りに火がついてしまう。
彼女はカフェのお客が静まり返るほどの剣幕でウェイトレスの無神経な発言を責め立てる。
おそらくウェイトレスにしても悪気はなかったのだろうが、悪意のない言葉が人を傷つけることもある。
今後も同じような辛い目に会わなければならないのかと、ロランスではなく彼を支えるフレッドがついに耐えられなくなり、二人の関係は終わってしまう。
詩人として自由な生き方を選んだロランス。物語が進むにつれてどんどん綺麗になっていく彼女の姿がとても印象的だった。
フレッドも結婚をして子供も出来たが、幸せな結婚生活を送っているとは言えない。
別れてはいるが、二人の中にまだ未練は残っていた。
後半にロランスがフレッドに「もし私が自分の心が女性であることを打ち明けなかったとしても、二人の関係は遅かれ早かれ終わっていただろう」と話すシーンがある。
前世からの因縁なのか分からないが、男女には切ろうとしても切れない縁がある。
結び付いたとしても不幸に終わる関係なのに、離れるといつしかお互いを求めてしまう関係。
この関係を続けるべきなのか、切るべきなのかの判断もとても難しい。
ロランスとフレッドは最後までどこかお互いに関係を切れない不思議な糸で繋がれてしまった。
それが幸せなことなのか不幸なことなのかは分からないが。
二人はお互いに心を傷つけ合ってしまうが、それでも会う度に少しずつ自分の生き方を確立しているのかなとも思った。
2000年を前にこの物語は終わるが、新しい時代が来ても二人はきっと自分の信じる生き方を選び続けていくのだろうと思った。
映画のラストがロランスとフレッドとの出会いで終わるのは、心にジーンと来るものがあった。
そして23歳でこの映画を撮ったグザヴィエ・ドランはとんでもない才能の持ち主だと思った。