ワーナー・ブラザースがこの年末で日本の劇場配給業務を終了するにあたってのメモリアルイベント「ワーナー・ブラザース映画ファンフェスティバル」を開催中。9日間にわたり代表作13本をスクリーン上映している。自分にとってワーナー・ブラザースと言えば断然、クリント・イーストウッド。日本で『陪審員2番』が劇場公開されなかった時はさすがに「冷たいな」と思った。実際、イーストウッドはワーナーに一番貢献してきたのではないか。ということで『グラン・トリノ』を久しぶりにスクリーンで見た。
主人公のコワルスキー(ポーランド系)は、朝鮮戦争に従軍し、戦火の中を生き延びた。その後、フォードの自動車工場で40年、組み立て工を務めリタイア。その彼が最愛の妻に先立たれひとり暮らしを余儀なくされる。イーストウッド自身が78歳の時にコワルスキーを演じている。
コワルスキーは頑固で偏屈。退役軍人仲間以外の人間には全てシャッターを下ろして生きている。家族、聖職者でさえも彼に取り付く島がない。有色人種への偏見を持ち、差別的発言も日常茶飯事。誰が見てもイヤな親父なのだ。そんな彼でも内心贖罪を感じていることが二つある。戦場で生き残るため13人の敵を殺めたこと、未だその感触から逃れられない。もう一つは、仕事人間で二人の息子たちとの付き合い方がわからなかった。そのため孫たちからも疎まれている。そんな彼を少しずつ、ある時は強引に、変えていくのは隣に住むモン族の姉弟。この家族の危機を救う彼なりの決断と結果がクライマックスなのだが自分の人生に区切りをつける行動とも取れる。それはこれまでの暴力の応報とは異なる選択。初見時はとても驚いたし、ジーンとしたのをまた思い出した。
この『グラン・トリノ』のころからイーストウッドの作風が変わってきたように思う。これまではやられたらやり返す痛快さを狙った復讐劇が目立った。弱者には寄り添うが、悪人や世の不条理に対してイーストウッドは必ず力を行使してきた。本作からは弱者への眼差しはそのままに、力に頼ることなく、自らも潔いそんなキャラクターを造形することが増えた。『リチャード・ジュエル』とか『運び屋』などいいもの、味のあるものを作るようになった。変容の根拠を全て「老い」に求めるのは正しいとは思わないが「老練」という言葉や「老成」という言葉もある。『グラン・トリノ』以降、後年のイーストウッドは題材選び、自身が面白いと感じるものが変わってきた(『ハドソン川の奇跡』なんか、でもこれはスピルバーグから回された仕事か?)。そしてドラマ作りもより味わい深くなったと僕は思う。ワーナーに戻ると、どの会社よりマルパソ・プロダクションはワーナーと蜜月が長かったのではないか?ワーナーとの別れを惜しむと共にマルパソの功績も称えたい。