ジムの経営は赤字続き、唯一の身内である娘からは縁を切られてしまっている孤独なトレーナーのフランキー。
彼のジムで住み込みの雑用係をしている元ボクサーのスクラップ。
スクラップは有能なボクサーだったが、タイトルに挑戦するのにはまだ早すぎたのか、タイトルマッチで敗れて片眼を失明してしまい、ボクサー人生にピリオドを打たれてしまう。
それでもスクラップは挑戦させてもらったことに感謝していると答える。
その姿を間近で見ていたフランキーは、才能ある選手の挑戦にはとても慎重になっていた。
彼のジムの看板ボクサーでもあるウィリーも実力は申し分ないのだが、フランキーはなかなか彼のタイトル挑戦を承諾しない。
そしてついにタイトルマッチが決まった時に、ウィリーは自分の将来、そして愛する家族を守るためにフランキーの下を去る決意をする。
実はとても愛情深く、選手の将来を考えているのに、言葉足らずで不器用なために損をしてしまうフランキー。
これはハートは熱いが、器用に生きられない者たちの物語。
家族と反りが合わず、ウェイトレスの仕事で客の食べ残しをこっそり包んで持って帰るような貧乏生活を送るマギーは、ある日フランキーを訪ねボクシングの指導を願い出る。
しかし女は教えないとフランキーは彼女の願いを退ける。
それでも諦めない彼女は、彼のジムに入り、誰にも教えられないままサンドバッグを打ち続ける。
ジムの退館時間になっても帰らず練習を続ける彼女を見かねて、スクラップはこっそりフランキーの道具を貸して彼女にアドバイスを送る。
スクラップはフランキーにマギーが会費の半年分を納めていると言うシーンがあるがそれは嘘だろう。
そしてウィリーが去った直後の喪失感を抱えるフランキーも、ついに彼女を受け入れる決心をする。
何だかんだでハートの熱さを持った人間をフランキーは好きなのだろう。
やがてマギーとフランキーの名コンビは華々しい活躍を見せる。
対戦選手が恐れをなして試合を避けるほどの実力を身につけたマギーは、出る試合のほとんどを1ラウンドで決めてしまう。
しかしそれでもフランキーは王者への挑戦に対しては慎重だった。
マギーは手にした賞金で、疎遠になった母親のために家をプレゼントする。
自分はトレーラー暮らしのままなのに。
フランキーは孝行娘だとマギーを褒める。しかし彼女の母親は、生活保護を打ちきられるなどの理由をつけてマギーの行為を責める。
マギーは母親の喜ぶ顔が見られると思ったのに。
家族を見返すためにボクシングを始めた彼女だが、やはり家族に認めてもらいたいという想いが強かったのだろう。
フランキーはマギーの落胆を見て、ついに王者からのオファーを受ける。
背中に「モ・クシュラ」と書かれたガウンをマギーに送るフランキー。
その意味は後半に明かされる。
対戦相手のビリーは卑怯な手を使うことで知られていた。
試合が始まり、正々堂々と戦うマギーに対して、反則技を繰り出すビリー。
それでも試合はマギーに優勢だった。
自分の劣勢にカッとなったビリーは、ゴングが鳴った後なのにも関わらず、背後からマギーにパンチを浴びせる。
受け身を取れないまま倒れたマギーは、病院に搬送され全身麻痺となってしまう。
フランキーは自分がオファーを受けたことで、マギーを絶望の淵に追いやってしまったことを悔やみ、スクラップに八つ当たりをしてしまう。
マギーの母親はなかなか彼女の見舞いにも訪れず、ついに現れたと思ったら財産をすべて自分に預けるように弁護士を連れて彼女に要求する。
もちろんマギーの試合のことなどまったく眼中にない。
マギーは反則を受けたわけで、試合に負けたのではない。
しかし母親にとってマギーは敗者と同じなのだ。
マギーはその場で母親との縁を切る。
そしてフランキーに自分に取り付けられた呼吸器を取り外してくれるように頼む。
フランキーはそれは出来ないと答えるが、苦しむ彼女を見て葛藤する。
教会の神父は決して彼女の要望を答えて、人の道を踏み外してはならないとフランキーを諭す。
スクラップはここで死んでも、マギーは良い人生だったと答えるだろうとフランキーに言う。
そしてついにフランキーは、「モ・クシュラ」に込められた意味を彼女に告げ、彼女への愛のために呼吸器を取り外す。
そしてフランキー自身も姿を消してしまう。
とても後味が悪く、悲しい結末だ。
最初にこの映画をスクリーンで観た時は、ただただ後味の悪さしか感じなかった。
その印象は今も同じだが、この映画に込められたメッセージを色々と考えてみた。
この映画は不器用な者たちの、そして敗者の物語だ。
敗者の美学というものもあるのだろうが、とにかくラストは観ていて辛い。
栄光と絶望は紙一重だ。
ストーリーには大きく絡まないように思えるデンジャーというボクサーの存在が印象的だった。
彼は口だけは達者だが、実力はまったくない。しかしハートは熱い。
フランキーは彼を無視しているが、スクラップは彼を目にかけていた。
そんなある日デンジャーはジムの連中にボコボコにされる。
誰だって人生一度は負ける、そう声をかけるスクラップだが、デンジャーはその日から姿を消してしまう。
しかし最後にまたデンジャーはジムに戻ってくる。
それがこの映画の唯一の希望だが、新たな絶望の始まりかもしれない。
そしてこの映画はスクラップのモノローグに始まり、スクラップのモノローグに終わる。
彼が語りかける相手は最後に分かるのだが、このスクラップという語り手の存在がとても大きな意味を持っているように感じた。
マギーの母親がマギーの試合も見ずに敗者だと決めつけてしまったように、おそらく誰も敗者の物語など知りたくもないだろう。
しかし敗者にも立派な物語がある。
フランキーが、マギーがどのように生きたか、それを観客にしっかりと伝えるのがスクラップの役目だ。
そして実際に世の中には熱いハートを持ち、愛情に溢れていながら、辛い人生を送っている人たちがいる。
そして卑怯な手を使ってのうのうと生きている者も。
フランキーの心がいつか救われる日が来ることを願わずにはいられない。
そしてマギーの魂があの世で救われることも。