1964年という設定があるせいなのか,社会通念の旧弊と産業構造が結びついているようにも感じられる新大陸の地域社会がそこに見えている.
しかし冒頭,何が見えているかすらもわからない映像がしばし流される.
クヴァルダと呼ばれる友人の女性キャシー(カトリーヌ・ドヌーヴ)は何かと世話を焼いてくれる.彼女の隣人愛がセルマ(ビョーク)に注がれている.舞台上では「サウンド・オブ・ミュージック」の稽古をしているメガネのセルマとクヴァルダがいる.セルマはとても目が悪いのか,度のきつい眼鏡をかけている.その眼鏡が外されると彼女は変身しないが,世界の見え方がより真実に近づくようにも感じられる.セルマは歌を歌いながら機械を動かしているがその様子もブルーワーカーたちにやや不評を買っているように見える.彼女はやはり眼鏡をかけている息子のジーン(ヴラディカ・コスティク)とトレーラーハウスで暮らしており,やはり隣人の好意を受けて,そこに住まわせてもらっているようである.パトカーに乗って息子のジーンを連れてくるのが,隣の家の警官ビル(デイヴィッド・モース)である.近隣のコミュニティの狭さはそうした点にも現れている.生い立ちや家庭に問題があるのか,ジーンは学校に行くのを嫌がっている.ビルの妻のリンダ(カーラ・シーモア)はそんなジーンの面倒も見ながらも,夫には浪費家とされている.この隣人の遺産は尽きようとしているらしい.また,セルマの金は,故郷のチェコに送金されていると言う話もある.
ジーンもセルマも自転車に乗っている.付近には線路が通り,木材を運ぶ機関車が走る.工場の前には大型のトラックもスピードを出して走っていく.こうした交通事情からも景気の良い都市との格差が感じられる.それでもセルマはミュージカル映画を見ながら,解説を受けており,他の観客に怒られている.セルマの解説によれば,ミュージカル映画は恐ろしいことが起こらないとされる.彼女の世話を焼く男性もおり,ジェフ(ピーター・ストーメア)はセルマの恋人になりたがっており,その気持ちは隠さず,行動する.
彼女には秘密がある.近々失明すると言う.それは遺伝の問題なのかどうかは判然としない.隣人ビルとそのやたらと明かせない秘密を共有する.
機械がリズムを刻む.リズムが幻想を生む,そして歌とダンスがそこに紡がれていく.映画が永遠に続くことについて,映画を終わらせないための(セルマなりの)答えは既に出ているようである.彼女はそして線路を伝って歩いている.
工場の上長(ジャン・マルク・バール)は彼女をクビにする.ミュージカルの演出をするサミュエル(ヴィンセント・ペイターソン)も目の障害やミュージカルへの思いも含め,彼女の存在を大切にはしている.しかし,こうした優しさも彼女の狂信的とも言える信念や念願の強度には通じていないようにも感じられる.歌とセリフの中でセルマは.見るべきものは全てを見たと宣言する.そして鉄橋の上を走る列車の荷台は舞台となっている.
大小の川が流れる.そして川には排水が吐き出されている.静か過ぎる刑務所にあって.独居房には換気口が設けられており,そこにはわずかな響きが聞こえてくる.やがてその音がセルマを救い出すのだろうか.刑務につくブレンダ(シオバン・ファロン)が彼女に寄り添う悪魔のようにも見え,107歩のマーチが始まろうとしている.