お早よう

おはよう|----|----

お早よう

amazon
レビューの数

43

平均評点

75.8(226人)

観たひと

364

観たいひと

25

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル コメディ / ドラマ
製作国 日本
製作年 1959
公開年月日 1959/5/12
上映時間 94分
製作会社 松竹大船
配給 松竹
レイティング 一般映画
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督小津安二郎 
脚本野田高梧 
小津安二郎 
製作山内静夫 
撮影厚田雄春 
美術浜田辰雄 
音楽黛敏郎 
録音妹尾芳三郎 
照明青松明 
編集浜村義康 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演笠智衆 林啓太郎
三宅邦子 林民子
設楽幸嗣 林実
島津雅彦 林勇
久我美子 有田節子
三好栄子 原田みつ江
田中春男 原田辰造
杉村春子 原田きく江
白田肇 原田幸造
竹田浩一 大久保善之助
高橋とよ 大久保しげ
藤木満寿夫 大久保善一
東野英治郎 富沢汎
長岡輝子 富沢とよ子
大泉滉 丸山明
泉京子 丸山みどり
佐田啓二 福井平一郎
沢村貞子 福井加代子
須賀不二夫 伊藤先生
殿山泰司 押売りの男
佐竹明夫 防犯ベルの男
桜むつ子 おでん屋の女房
菅原通済 客・通さん

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「彼岸花」につづいて野田高梧と小津安二郎が書いた脚本を、小津安二郎が監督した、大人と子供の世界を描いた一篇。撮影は「春を待つ人々」の厚田雄春。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

東京の郊外--小住宅の並んでいる一角。組長の原田家は、辰造、きく江の夫婦に中学一年の子・幸造、それにお婆ちゃんのみつ江の四人暮し。原田家の左隣がガス会社に勤務の大久保善之助の家。妻のしげ、中学一年の善一の三人。大久保家の向い林啓太郎の家は妻の民子と、これも中学一年の実、次男の勇、それに民子の妹有田節子の五人暮し。林家の左隣・老サラリーマンの富沢汎は妻とよ子と二人暮し。右隣は界隈で唯一軒テレビをもっている丸山家で、明・みどりの若い夫婦は万事派手好みで近所のヒンシュクを買っている。そして、この小住宅地から少し離れた所に、子供たちが英語を習いに行っている福井平一郎が、その姉で自動車のセールスをしている加代子と住んでいる。林家の民子と加代子は女学校時代の同窓で、自然、平一郎と節子も好意を感じ合っている。このごろ、ここの子どもたちの間では、オデコを指で押すとオナラをするという妙な遊びがはやっているが、大人たちの間も、向う三軒両隣、ざっとこんな調子で、日頃ちいさな紛争はあるが和かにやっている。ところで、ここに奥さん連中が頭を痛める問題が起った。相撲が始まると子供たちが近所のヒンシュクの的・丸山家のテレビにかじりついて勉強をしないのである。民子が子どもの実と勇を叱ると、子供たちは、そんならテレビを買ってくれと云う。啓太郎が、子供の癖に余計なことを言うな、と怒鳴ると子供たちは黙るどころか、「大人だってコンチワ、オハヨウ、イイオテンキデスネ、余計なこと言ってるじゃないか」と反撃に出て正面衝突。ここに子供たちの沈黙戦術が始まった。子供たちは学校で先生に質問されても口を結んで答えないという徹底ぶり。この子供たちのことを邪推して近所の大人たちもまた揉める。オヤツをくれと言えなくて腹を空かした実と勇は原っぱにおヒツを持出して御飯を食べようとしたが巡査に見つかって逃げ出し行方不明となった。間もなく子供たちは駅前でテレビを見ているところを、節子の報せで探しに出た平一郎に見つかった。家へ戻った子供たちは、そこにテレビがおいてあるのを見て躍り上った。停年退職した富沢が電機器具の外交員になった仕事始めに月賦でいいからと持込んだものだった--。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1959年6月下旬号

日本映画批評:お早よう

1959年6月上旬号

新映画評:お早よう

1959年5月下旬号

日本映画紹介:お早よう

1959年5月上旬号

新作グラビア:お早よう

2019/06/08

2019/06/08

80点

その他/録画BSプレミアム 


ユーモラス

 とても面白かった。
 
 登場人物が、皆、イキイキしている。中学生の子供達3人が、古臭いと言えど、とってもユーモラス。林家の長男(設楽幸嗣)次男(島津雅彦)が、テレビを買って欲しくて、喋らないストライキをするのも、何となく笑える。

 大人の仕事が、何だか取って付けたようだけれど、それはご愛敬。佐田啓二の翻訳も東野英治郎の定年退職も上手いのでそれなりに見えてしまう。

 そして、噂話に花を咲かせる女性陣の上手さと言ったらこの上ない。杉村春子も三宅邦子も高橋とよも沢村貞子も、そして久我美子も。彼女達が醸し出すいやらしさも美しさもこの上ない。さすがであった。

2019/05/07

2019/05/08

60点

VOD/U-NEXT 


ポップ

長屋のおばさん連中の噂話が一人歩きする様をポップに描いているがなかなか恐ろしい。

笠智衆が男の子二人の親っていうのも珍しいし、説教するシーンも珍しい。

男の子二人の可愛らしいストが良。
終始ポップで緩い作品。

2000年代

2019/04/24

75点

レンタル 


明るくホノボノ

ネタバレ

あの名匠小津安二郎がオナラを使ってベタな笑いをとるなんて、何だか意外。ともあれ、濃密な近隣コミュニティや慎ましやかな男女関係、TVの普及や押し売りの来訪といった当時の世相風俗を軽やかなタッチで掬い取りながら、全編に明るくホノボノとした余情を醸し出す小津安二郎のこなれた語り口が光る出色の人情喜劇だった。また、佐田啓二と久我美子の抑えた演技に好感で、子役兄弟の愛くるしい存在感ともども心に残る。

2019/02/24

2019/03/06

75点

購入 


ほのぼの映画

小津安二郎監督のコメディでおならと大便をネタにしたというのが驚きで、こういう児戯のようなものを小津も使うというのはなんだか面白く感じる。全体的に柔らかいタッチの演出で、汚く感じさせない。

子どもたちがテレビを買ってくれと言って、父親の笠智衆に「つまらんこと言っていないで黙っていろ」と言う。すると子供も「大人だってつまらないこと言っているじゃないか、お早うとかこんにちはとか」
言葉自体にたいして意味がないが、挨拶は人間関係には大事なものというのがこの作品のテーマ。
そして日本人は意味のないことを言うのに、肝心なことは言わないと言う。
佐田啓二と久我美子もお互いが好きなのに、その肝心なことは言わずに挨拶ばかり。
それで良いんだというオチ。

この映画の画質がパステル調なのは、作品が古いので、色調がややボケたからなのか、演出のせいか、その両方なのか良く判らないけど、映画の雰囲気にピタリはまるのが良い。

この映画を観ると、この時期にテレビとか洗濯機とか家電製品が日本人の生活に入り込んで、生活様式が変わっていく様子も判る。

いろんな映画やテレビドラマでちょこっと出ておかしみを出す怪優大泉滉が若い頃からそんな俳優だったのだと言うことも判る。

2018/12/15

2018/12/15

80点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 


弟のバイバイはアイラブユー(今でも使える)

BGMも良い。ジャック・タチのほのぼの曲調に似ている?
飲み屋ではもう、テレビを見て一億総白痴化が話題になってたんだ。今は無いナショナル14型テレビも正に高度成長期のシンボルだった。

2004/01/11

2018/12/14

80点

映画館/東京都/東京国立近代美術館 フィルムセンター 


オナラとウンコに嬉々とする芸術院会員

小津の映画がカラーになった第2作(第1作は「彼岸花」)。わたくしがこの映画を初めて観たのは、ずいぶんあとになってからのことでしたが(最初は83年にレーザーディスクで観て、そのあと、フィルムセンターで観直したのです)、オデコを押すとオナラが出るという子供たちの他愛ない遊びをモティーフにして、抽象的とすら呼びたい書割のような舞台装置の中で、小市民たちが繰り広げるナンセンスな行動を1本の映画に仕立ててしまうという“過激さ”は、まるで実験映画のような前衛性を帯びていると、心底驚いたものです。“ワビサビ文化を極めた純日本的な映画作家”といった小津を巡る風評は、一切彼の本質とは無縁な誤解に過ぎない、純日本的なゲイジュツ家が、オナラで1本の映画を作るような真似をするはずがないじゃないか、と、意を強くしましたし、たかが映画じゃないか、と言わんばかりに己と戯れる彼の映画作りは、紛れもなくヒッチコックやハワード・ホークスの同時代人であることを告げていると思いました。
今回久しぶりに観直して、画面に繰り広げられる荒唐無稽なまでにふざけた児戯や小市民的ないざこざに大笑いしながらも、小津という男が注ぐ暖かな視線と、それとは裏腹に時代を突き放してみせる冷酷さに、慄然とさせられてしまいました。
奥に高い土手が聳える文化住宅街。郵便受けの赤がアクセントになった色彩設計が鮮やかで、カラーという新しい玩具に嬉々として臨む小津の意欲が伝わってきます。しかし話のほうは下世話そのもの。土手の上でオデコを押しながらオナラ競争している子供たち(その前に、「有楽町で逢いましょう」を合唱しているあたり、流行歌に毒された子供文化への皮肉が覗きます)の中の一人が、勢い余って“中身”をパンツに放出してしまったらしいことが描写されます。オナラとウンコ。……まったく下品としか言いようのない世界を、平然と撮って嬉々としている芸術院会員(会員になるのはのちのこととはいえ)なんているのでしょうか。小津恐るべし。
文化住宅に住まう大人たちとて、下品で下世話であることに変わりありません。町会の夫人会費がまだ会長のもとに届けられていないことを話題にしながら、隣の奥さんがネコババしたのではないか、などという噂を、隣家が電気洗濯機を購入した僻みからか、平然と話し合っているのです。なんたる小市民ぶり。
子供たちにオナラの出し方を伝授したオヤジ(竹田法一)のくだりが、これまたくだらない。オヤジが「プー」と一発かますと、妻の高橋とよが「何か言った?」と顔を出します。「いや、別に」と竹田が応えたあと、ひと間あってまた「プー」。「なによー」と高橋が応じると、今度も「いや、別に」と応えると思いきや、「あのさ、今日のことなんだが……」などと用事を伝え始めるのです。この竹田、オナラをただの生理現象と妻の呼び出しに使い分けているのです。なんたるばかばかしさ。
映画は、このような小ネタを散りばめながら、文化住宅街という小さなムラ社会を舞台に、小市民たちの喜怒哀楽が綴られてゆくのですが、そこから浮かび上がってくるのは、もはや階級差別がなくなってすべてが平準化し中級化した戦後社会において、それでもなお他者との差別化に躍起になっている人々の、寛容と不寛容の間を往来する卑俗な小ささであり、それを冷厳に、かつ反面では暖かく見守る小津の視線なのです。