久我美子

|Kuga Yoshiko| (出演)

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本名 小野田美子(はるこ)(旧姓・久我(こが))
出身地 東京市牛込区の生まれ
生年月日 1931/01/21
没年月日

略歴▼ もっと見る▲ 閉じる

東京市牛込区(現・東京都新宿区)の生まれ。本名・小野田美子(はるこ)。公家華族の中でも指折りの名家・久我(こが)家に生まれ、貴族院の議員もつとめた侯爵の父親と映画や芝居好きの母親の影響から、幼い頃から芸能に親しむ。女子学習院中等科3年の1946年5月、斜陽華族の長女として家計を支えるべく、東宝の第1期ニューフェイスの募集に、家族や学校にも相談せず応募し、4000人の中から採用される。しかし、侯爵家の令嬢が映画界に入ることに祖父らが難色を示し、戸籍を母の兄の養子先である池田家に一旦移して、池田美子(はるこ)の名前で東宝入り。結局、芸名は東宝の希望で久我美子(くが・よしこ)となる。翌47年3月には華族世襲財産法の廃止により、元の久我姓に戻した。女子学習院中退後の46年7月、東宝演技研究所に入り、養成期間を経て10月に専属俳優に。同期に若山セツコ、伊豆肇、堺左千夫、堀雄二、三船敏郎などがいた。時代は第2次東宝大争議の只中で、主演級のスターが相次ぎ脱退したために新人にも出演機会がめぐってくることになり、製作再開第1作のオムニバス映画「四つの恋の物語」の第1話、豊田四郎監督「初恋」のヒロインに大抜擢。池部良演じる高校生に好意を寄せる女学生役を懸命につとめ上げ、同作は47年3月に公開された。同年、成瀬巳喜男監督「春のめざめ」でも再び主役に起用され、性に目覚めて成長していく可憐な女学生を初々しく演じた。翌48年には黒澤明監督「酔いどれ天使」に出演。出番は多くないものの、彼女の演じたセーラー服の少女が発散する生命力は、三船敏郎が圧巻の演技を見せた刹那的に命を燃やすやくざとは対照的に、希望の光を灯していた。同年4月、戦後最大と言われる第3次東宝争議に入ると、東宝の俳優たちは独自の活動を余儀なくされ、久我も自立俳優クラブに参加する傍ら、成瀬が東横映画で撮った「不良少女」49に主演。資質とは明らかに異なる不良少女役にも果敢に挑み、清純派からの脱皮を計ろうと奮闘する女優としての向上心や覚悟が窺えた。松竹の渋谷実監督「朱唇いまだ消えず」49、東宝の谷口千吉監督「ジャコ万と鉄」49などを経て、ロマン・ロランの『ピエールとリュース』を下敷きに水木洋子が脚本を手がけ、今井正が監督した「また逢う日まで」50に主演。軍国主義一辺倒の戦時下を舞台に、あえてその風潮に抗う恋人たちによるメロドラマで、入隊目前の大学生に扮した岡田英次とのガラス越しのキスシーンは、日本映画史においていまだロマンティックな輝きを放ち続けている。彼女の演じた画家の卵が体現する、自分の信じる世界にのみ没頭して生きようとする一途さと、それゆえに葛藤し、時に身を滅ぼすことすらある一筋縄ではいかない気質は、作品に応じてさまざまに変容し、役柄の中で脈々と息づいていく。溝口健二監督「雪夫人繪圖」50では、愛の冷めた夫に情欲のみで縛られた雪夫人に憧れ以上の想いを抱く女中の複雑な心理を、ドストエフスキーの原作を大胆に翻案した黒澤監督「白痴」51では、真実を鋭く洞察しつつも本心と裏腹な行動をとる乙女心を、田中絹代が初メガホンをとった「恋文」53では、最悪の再会を果たした昔の恋人の不寛容によって人生に絶望する戦争未亡人の苦悩を、それぞれ細やかに演じたかと思えば、木下介監督「女の園」54では、上流階級出身という自己を否定するがごとく、我が道を邁進する女子大生の狂気を見事にあぶり出した。51年より自立俳優クラブを離れて大映専属となり、久松静児監督「妖精は花の匂いがする」「地の果てまで」53、成瀬監督「あにいもうと」53、木村恵吾監督「再会」53などに出演。中でも市川崑監督「あの手この手」52では、恐妻家の叔父の家庭での主権を回復すべく奔走する“アコちゃん”なる末恐ろしい家出娘を快演し、コメディエンヌとしての才能も披露した。さらに54年、フリーとなった久我は先述した「女の園」をはじめ、さまざまなタイプの作品に主演、助演し、充実の年を迎える。堀辰雄の同名小説を島耕二監督が映画化した「風立ちぬ」では、結核を患うヒロイン役で典型的メロドラマを演じ、溝口監督「噂の女」では、田中絹代と母娘役で主演。実家が遊廓と知れて破談となって自殺を図り、母親を憎みながらも同じ相手を好きになる娘の情念を妙演した。助演作も相次ぎ、千葉泰樹監督「悪の愉しさ」では、平然と悪事をエスカレートさせていく主人公の昔の恋人の虚無感をクールに演じ、ブラックな笑いに満ちた市川崑監督「億万長者」では、原爆作りに情熱を注ぐ労働者を怪演、小林正樹監督「この広い空のどこかに」では、姑や足が不自由で愛想のない小姑にも屈せず嫁ぎ先の酒屋で甲斐甲斐しく働く新妻という、久我にしては珍しい平凡な主婦を好演。これらの演技で、毎日映画コンクール助演女優賞に輝く。同年4月、より自由で納得のいく仕事を求めて、友人の岸惠子、有馬稲子と“文芸プロダクションにんじんくらぶ”を結成(65年に解散)。主演の機会は減りつつも、56年には、木下監督「夕やけ雲」「太陽とバラ」、久松監督「女囚とともに」の演技で、ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。そして57年、渋谷実監督「正義派」、五所平之助監督「黄色いからす」を経て、同じく五所監督による、原田康子のベストセラー小説の映画化「挽歌」で久々に主演。左手の自由の利かない苦痛を紛らすように妻子ある男性と恋に落ち、その妻の母性に触れ罪悪感にさいなまれるも、悲劇へと追いやる激情型のヒロインを力演。興行的にも成功し、続く川島雄三監督「女であること」58にも、森雅之と原節子の夫婦関係をこじらせる小悪魔的役柄で出演した。一方、自らの信念に忠実に行動する、きりりとした久我の個性は主に時代劇で発揮され、稲垣浩監督「柳生武芸帳」二部作57・58では、腕におぼえのある男たちに混じり、スリリングな武芸帳争奪戦を繰り広げる竜造家の遺児・夕姫を凛々しく好演。同じく稲垣監督「大坂城物語」61でも、徳川家と豊臣家の和睦のため奔走する加藤清正の娘を颯爽と演じた。そのほか、役の大小に関わらず名匠たちにも重用され、「彼岸花」58、「お早よう」59などの小津安二郎監督、「この天の虹」58、「風花」59、「二人で歩いた幾春秋」62などの木下惠介監督の作品で強い印象を残した。その後、松本清張原作のミステリーを野村芳太郎監督が映画化した「ゼロの焦点」61で、新婚間もなく失踪した夫を捜すうちに知られざる夫の真実に打ちのめされながらも対峙していくヒロインを演じてからは、61年の日本テレビ『石庭』を皮切りに、次第に活動の場をテレビに移す。近年のドラマの出演作に、NHK『さくら』90、『ようこそ青春金物店』96、『天涯の花』99、TBS『課長さんの厄年』93など。舞台も64年の『シラノ・ド・ベルジュラック』のロクサーヌ役で初舞台を踏んだ。89年、五社英雄監督「226」で20年ぶりの映画出演。同年、84年に死別した夫で俳優の平田昭彦とも縁深い「ゴジラ」シリーズ第17作の、大森一樹監督「ゴジラVSビオランテ」では当時の世相を反映した女性官房長官役で出演。竹中直人監督作品には、監督デビュー作「無能の人」91より、「119」94、「東京日和」97と連続出演し、「119」で毎日映画コンクールの田中絹代賞を受賞。名脚本家・中島丈博が監督した「おこげ」92、柄本明の監督デビュー作「空がこんなに青いわけがない」93、映画界の風雲児・角川春樹の監督復帰作「時をかける少女」97、作詞家・秋元康が自作の曲をモチーフに監督した「川の流れのように」00など、錚々たる“異業種監督”から愛されるのも、銀幕のスター・久我美子の勲章のように思われる。

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2000年12月下旬号

対談 :久我美子×香川京子 最終回

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対談 :久我美子×香川京子

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特別対談 日本の映画監督を語る:久我美子×香川京子

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インタビュー 久我美子:「白痴」で私は、自分の役柄にめぐり会えたと思いました

1994年臨時増刊 竹中直人の小宇宙

「119」キャスト&スタッフ紹介:久我美子

1978年8月下旬号

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1959年9月下旬号

グラビア CLOSE-UP:久我美子

1958年1月上旬新春特別号

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1956年11月上旬号

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1956年7月下旬号

座談会 戦後新人俳優の生活と意見:乙羽信子×久我美子×香川京子×三国連太郎×佐田啓二×南博×井沢淳×田中純一郎

1956年1月上旬新年特別号

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1955年増刊 日本映画大鑑 映画人篇

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現代が求める新しいタイプと演技:久我美子

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1954年2月上旬ベスト・テン発表特別号

「にごりえ」の感想:

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アンケート ごひいきスタア:久我美子

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