今回の発見 赤子をさらった立て籠もりが後の黄門様か
世界的にも評価の高い超名作。 日本人としてとても誇らしいです。 とにかく見るたびに新しい発見があります。
黒澤明の完璧主義には、背景が書割りやハリボテでも良い映画になればイイじゃねえか、なぁんて思ってた時期がありましたが、本作を見直すとやっぱり厚みが桁違いですね。
勘兵衛が地図を片手に見て回る農村の道々や橋はどう見ても生活道だし、侍探しでの町家の家々などもおそらく実際通りに建てたものでしょう。 例えカメラが裏手に回ってもやっぱり古びた木造家が映るはず。 実は単管パイプが入ってました、なんてアラは映らない。 強固な画創りでどんなに役者の個性が出ても演者が百姓や侍に見えないシーンは一切ありません。
粒ぞろいの出演陣は、これを背景に充実の芝居を魅せます。
どこかで三舩敏郎の演技が下手なんて書かれているのを見かけましたが、とんでもない話です。 粗暴、だけど性根に良さが伺える、百姓の孤児だった出自故に勘兵衛に求めたものがある。
余人をもって代え難いキャスティングです。
宮口精二も凄いですね。 時代劇の出演歴が無い上での起用ですが、前半の果し合いの場面では、正眼に構えた刀は微動もせず、次に脇構えへ持っていく静かな一連の動作。
殺陣の修練とかじゃなく演技力で達人を表現しています。
勝四郎の木村功は三十路を超えていたそうですが、この人も若輩や稚気を演技で表現して役に血肉を与えています。 今ならそのまんま20代の役者を起用することでしょう。
彼は志乃に握り飯を食べろと差し出します。
百姓の様に粟や稗を食べようとしたが無理だった、だから同じものを食べて欲しい、同じ価値観を持ち合いたい。 これは立派なデートなのだ。
これを受けて志乃は婆さまに食べさせてやりたいと言う。
もうね、なんて清い交際なんだろうと思いましたね。
二人は一夜の契りをするので、そのまま結ばれて一緒に帰郷したら良いのに、とも思いますが、当時も映画が作られた頃でも息子は跡取り、と言う風潮でしたし、まして身分が違う。
黒沢監督もそんな事はいちいち説明しない。
志乃は早々と百姓の娘に戻り、勝四郎はまだ引きずっている。
勘兵衛が負け戦だったと言うのもむべなるかな、です。
サブストーリーだけ追っても一級品でした。