ヒューマニスト黒澤明監督の最高傑作。多面的に見るとこの映画に隠された真理を想像してしまう。
公開当時この映画が大ヒットするかたわら、一部の評論家からネガティブな批評を受けたのは、この映画の百姓についての描き方だ。佐藤忠男さんもこの映画を最初に見たとき、気持ちよく思わなかったと言っている。一部の農民に家を引き払うよう要請して拒否されると、勘兵衛が刀を抜いて言うセリフがその理由のひとつではないか
「己の事ばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ。人を守ってこそ自分も守れる。戦とはそういうものだ」
感動を呼ぶこのシーンだが、思えば我々日本人は「忖度」という意識をいつしか植え付けられ、全体主義的な中で小さな反論や反乱をことごとく消し去られるよう生きてきた。侍が百姓に強要したことは、結果として百姓が選択した戦略だったのだ。ベンサムの「最大多数の最大幸福」あるいはミルの功利主義などを無意識に受け入れたこの映画は、まさに集団として生き残るためのギリギリの選択を求められるドラマなのである。
かたわらで百姓が、侍に隠した武器や酒。侍はこれを不愉快に思うが、侍と百姓の間にいる菊千代が侍を涙ながらに批判するシーンにすべてのことが集約されている。百姓をこのような立場に追い詰めたのはいったい誰なのか?
話題はそれるが、日本の現在の農業政策にもまったく同じことが言えまいか。米づくりを制限され、資本主義社会にあって共産主義的な政策の中に苦しむ現代農業は、この映画で描かれる百姓と形は変えても立場はまるで変わらない。こうした現実を突きつける意味でも、この映画には偶然を超える価値が存在すると思う。