1964年公開、久松静児監督の「沙羅の門」であります。原作は水上勉の同名小説。残念ながらコレは未読。新藤兼人が脚本化し、音楽は「たまゆら」の崎出伍一が担当。
冒頭は、布団で眠つてゐた少女・千賀子(長谷部たみ子)が突然目を覚ますシーン。外へ飛び出し病院へ行くと、母さだ子(加藤治子)が死んだと、父で昌福寺の承海(森繁久彌)が告げます。続くシーンでは続いて今度は父の再婚相手・八千代(草笛光子)がやつて来るシーン。八千代は千賀子に、自分を姉と思つて、苛めないで欲しいと語る優しい女性です。山門の沙羅の花を自分に見立ててゐます。
サテ女子大生に成長した千賀子(団令子)、恋人の橋田(船戸順)と学生結婚を望んでゐましたが、彼の子を妊娠したと告げると態度を豹変させたので別れます。八千代に打ち明け、堕胎費用5000円を都合して貰ふのでした。次いで今度は会社員で妻子持ちの剣山仙吉(木村功)からプロポーズされます。平気で妻子を棄てると言ふ千吉を信じられず、又も別れを宣言します。
そんな奔放な千賀子に、承海は養子を取らせて寺を継がせたいが、千賀子は拒否します。その後この父娘は本音をぶつけ合ひ、蟠りは氷解するのでした。ところがその直後、バイクを運転中の承海がダンプに轢かれて急死すると云ふ事態に......
団令子・草笛光子のダブル主演による女性映画でした。団令子さんはコケティッシュな魅力とかファニーフェイスとか、その方面で語られる事が多いけれど、しつかり演技派でもあります。巨匠監督たちが繰り返し起用する事もうなづけるのでした。中でも、京都の大文字焼が見られるアパート内での、木村功とのやり取りは必見であります。
禅宗のシキタリでは妻帯が禁じられてゐるので、それを逆に利用した作劇が効いてゐます。だから草笛は籍を入れる事が出来ず、法的には他人のまま。そのせいか草笛は森繁を「おッさん」と呼んでゐます。本作のモリシゲはイメエヂ通りの酒好き女好きの生臭坊主を演じながらも、主演二女優を立て、脇へ回らうとの配慮が感じられました。
あくまでも建前上は独身の森繁だから、死んだら草笛も団も寺から追ひ出されてしまふのでした。その辺の経緯は、遠藤辰雄や田武謙三が厭らしく嫌らしく説明してゐます。そんな二人に大僧正の宮口精二がこれまた嫌味たつぷりに皮肉るのが面白い。それでも所詮宮口もこの世界の人間、草笛と団を見かけ、意味深な会釈をするのが精一杯でした。
ラストで、団が草笛に「実家へ帰らず、私と一緒に暮して」「これからはお母さんと呼ばせて」なんて言ふのが又泣かせます。そして二人を探す、昌福寺のお徳(菅井きん)の姿で幕を閉ぢるのでした。地味ですが、中中のドラマと申せませう。
ところで、短期間ながら大津市(現在の比叡山坂本駅=当時は「叡山駅」の近く)に住んでゐた事のあるわたくしとしては、和邇とか雄琴とか堅田とかの地名が懐かしかつたです。因みに本作公開時はまだ国鉄湖西線は開通してゐなくて、その前身たる江若鉄道がまだ健在だつたのです。