シネマヴェーラ渋谷の“欲望のディスクール”特集で初めて観た「愛のうず潮」は、浮気性というより己の出世のために社長の姪の想いを利用するような下衆野郎の夫にひたすら耐え、自分に想いを寄せてくれる誠実な写真家がいるのに、下衆夫を思い切る事ができずにグズグズと思い悩む新珠三千代に心底苛々する映画でした。
「愛のうず潮」の苛立たしい展開を観ながら、これがTVの連続メロドラマの映画化だったことを思い出し、なるほど昔のTVメロドラマはこんなふうに観る者を苛つかせながら、次の回次の回へと視聴者を引っ張る作りだったと納得したのであり、これほど苛つくのは、逆に堀江史朗脚本・久松静児演出が巧いからだと思いました。
脚本を書きプロデューサーとしてもクレジットされている堀江史朗は、NHKでラジオドラマ制作に携わったのち脚本部長を務め、東宝に転じて文芸部長の座に就いたのちには博報堂でテレビ・ラジオ局長~副社長まで務めたラジオやTVドラマのエキスパートだった人であり、メロドラマのドラマトゥルギーを知り尽くしていた人だったのでしょう。監督の久松静児は、どんな題材も誠実に撮る人で、この映画でも丁寧に細部を組み立てています。
「愛のうず潮」のヒロイン像は、観ている誰もが“こんな奴とはさっさと別れてしまえ”と画面に向かって叫んでやりたくなる人物ですが、一度結婚した夫にはとことん尽くして添い遂げるという古風な考え方が、60年代初頭にはまだギリギリ成立していたのでしょう。60年代半ば以降は通用しないと思いますけどね。