彩り河

いろどりがわ|The Street of Desire|----

彩り河

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レビューの数

8

平均評点

56.2(50人)

観たひと

80

観たいひと

6

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル サスペンス・ミステリー
製作国 日本
製作年 1984
公開年月日 1984/4/14
上映時間 125分
製作会社 松竹=霧プロ
配給 松竹
レイティング
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督三村晴彦 
脚本野村芳太郎 
三村晴彦 
仲倉重郎 
加藤泰 
原作松本清張 
製作野村芳太郎 
升本喜年 
撮影花田三史 
美術横山豊 
音楽鏑木創 
録音田中進 
松本隆司 
照明山ノ上実 
編集鶴田益一 
助監督花輪金一 
スチール赤井博且 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演真田広之 田中譲二
名取裕子 増田ふみ子
平幹二朗 井川正治郎
米倉斉加年 清水四郎太
夏木勲 高柳秀夫
根上淳 佐相宗一郎
石橋蓮司 横内三郎
佐藤允 立石恭輔
中野誠也 並木誠一郎
金子研三 宮田利夫
伊東達広 脇坂編集長
阿藤海 芳野刑事
石井富子 馬場荘・女中富子
汐路章 ハイウェイサービス・西本
吉行和子 山口和子
沖直美 梅野ヤス子
渡瀬恒彦 山越貞一
三國連太郎 下田忠雄

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

幼い頃の父親の死に復讐の炎を燃やす天涯孤独の男が復讐を遂げるまでを、銀座のクラブのママとの愛を絡めて描く。松本清張原作の同名小説の映画化で、脚本は、本作品で監督も手がけ「天城越え」で監督デビューした三村晴彦、「ざ・鬼太鼓座」の仲倉重郎、「天城越え」の加藤泰、「迷走地図」の野村芳太郎の共同執筆。撮影は「えきすとら」の花田三史がそれぞれ担当。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

首都高速道路料金所職員の井川正治郎は、かつて東洋商産の取締役であったが、同期の高柳秀夫との派閥争いに敗れ退職した。井川は霞ケ関料金所で、東洋商産時代の愛人山口和子を見かける。和子は、いまは銀座のクラブ・ムアンのママで、高柳を助手席に乗せていた。和子と高柳が帰宅すると下田忠雄という男が待っていた。下田は、実は昭明相互銀行社長で、和子は彼の愛人であった。下田は、「人類信愛」をモットーとする博愛主義者でとおっているが、その陰には、寿永開発という名のトンネル会社が存在し、社長の立石恭輔をあやつっていて、またその地位から政界の中枢との太いパイプも持っていた。井川はムアンを訪れるが、和子に冷たくあしらわれる。それを観ていた業界紙の記者山越貞一は、井川に声をかけ、和子のパトロンは高柳でないと告げる。山越は、業績の悪化を噂される東洋商産に深い探りを入れていた。下田の豪邸が放火された。犯人として、付近にたむろしていた、夜の銀座で車の誘導係をする通称ジョーこと田中譲二が連行されたが、放火が突然失火に変わり釈放された。犯人は和子であった。彼女は映画館でなにものかの手によって殺された。ある夜、ジョーは休業中のムアンから流れてくる「佐渡おけさ」のメロディーに惹かれて中に入り、和服姿の女性増田ふみ子と知り合った。彼女は、新潟からやってきた新しく名を替えたムアンのママだった。ある夜、下田とふみ子の情事の最中、黒装束の男が忍び込み下田を襲った。男がジョーと気づいたふみ子は逃がしてやる。甲府の山林原野の中で、高柳の首吊り死体が見つかった。井川が自分宛の高柳の遺書を持って山越を訪ねた。それには和子の死の原因などが書かれてあり、井川は記事にしてくれと頼む。欲に目がくらんだ山越は、遺書をもとに下田をゆすり殺された。ふみ子と結ばれた夜、ジョーは自分の過去を話す。彼の父親は下田に、会社の公金横領の濡れ衣を着せられ自殺した。その後、母親も無理がたたって病死したのだった。知り合ったジョーと井川は、復讐を誓い、ふみ子の手を借りて昭明相互銀行の祝賀パーティのさ中、秘密の催し物と称して関係者を集め裏ビデオを見せる。井川を刺したジョーは一人で復讐を遂げた。そして、新潟の海にふみ子とジョーの姿があった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1984年6月下旬号

日本映画紹介:彩り河

1984年5月下旬号

日本映画批評:彩り河

1984年4月下旬号

グラビア:彩り河

特集 彩り河 三村晴彦監督作品:監督・出演者インタビュー

特集 彩り河 三村晴彦監督作品:三村晴彦監督のこと

特集 彩り河 三村晴彦監督作品:三村監督から学ぶこと

2023/03/17

2023/03/17

65点

テレビ/有料放送/WOWOW 


米倉 斉加年の怪演

2022/09/04

68点

テレビ/有料放送/衛星劇場 


仇討ち

色々な要素が複雑に絡み合っているが、基本は父親を殺した男に復讐するという動機のみ。
俳優陣がすごい。当然ながら主役は真田広之、善人として平幹二朗、名取裕子、吉行和子。悪人として米倉斉加年、夏木勲、根上淳、石橋蓮司、佐藤允、渡瀬恒彦、三國連太郎と大物ばかり。面白いのは汐路章がストーリーに絡まない庶民の役で出ていること。
登場人物それぞれが少しずつ登場し、話を盛り上げていく。最初は何が起こるのか分からない。むしろ吉行と平の愛憎物語のようにも見える。しかし次第に三国の人間性が暴かれてくる。
ラストはあれだけの殺人を犯し、血まみれの二人がどうやって新潟まで落ち延びてきたのかと言うこと。結末だけから判断すると復讐を良しとしているようにも受け取れる。ラストは冷たい海にでも消えていく方がよかった(映画として)。

2022/07/23

2022/07/23

25点

テレビ/有料放送/WOWOW 


「唐突な展開のサスペンス」などありえない

銀行の社長や、企業の社長や、銀座のクラブのママや、料金所の職員など、
多くの人達が絡む話なのだが、
何の問題で対立しているのか解らない人々が対立し合ってたり、
「他人をコントロールできる薬」という都合の良い物を使って証拠を残さず殺したり、
銀座の路上でタクシーの手配をする仕事をしてる真田広之が、ママの名取裕子と出会ってすぐくっついたり、
捜査もしないまま真相が判っていたりで、
そんなご都合主義や偶然を多用して唐突に展開するので、
ジャンルはサスペンスの筈が
「次は何が起こるか?」と考える気にもならない「非サスペンス」になってしまった。

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<おまけ>

裏ビデオを観るシーンで「本番」という台詞がある。

性行為のことを「本番」と呼ぶようになった期限は、
いつどの出来事によるかはハッキリ覚えていない。

『愛のコリーダ』(1976)から言われたという説を目にした覚えはある。

この作品が製作された1984年には、
台詞として通用するくらい一般的な言葉だったと思われる。

2022/01/24

2022/01/27

60点

選択しない 


二つの復讐劇がクライマックスに向けて収斂

 監督は「天城越え」で鮮烈デビウした三村晴彦。脚本には野村芳太郎・三村晴彦・仲倉重郎・加藤泰の四名が名を連ねてゐます。音楽は鏑木創。

 真田広之・名取裕子といふ若手を前面に出した作品。真田が演じるのは夜の盛り場でタクシーの誘導をして、バアやクラブの客を送る商売をするジョ―と呼ばれる男。
 もう一人、高速道路の料金所の職員・平幹二朗がゐますが、平と真田の共通の仇が、相互銀行社長の三國連太郎。表向きは「人類信愛」などを標榜する人格者を演じてゐますが、実態は政財界やマスコミと通じ私腹を肥やす真黒な奴。その内幕を暴かんとするのが、記者の渡瀬恒彦。

 平はかつては大企業の役員でしたが、ライヴァル夏八木勲との派閥争ひに敗れ、現職に転身しました。平のかつての愛人で銀座の高級クラブ「ムアン」のママ・吉行和子が殺される事件が発生します。その後釜のママが名取裕子で、偶然知り合つた真田とは、同郷(新潟)といふ事もあり、忽ち恋愛関係に。早過ぎます。ここで彼は、父が三國に嵌められて死んだ過去を告白します。

 三國は佐藤允を傀儡とし、政治面で根上淳、経済面で夏八木勲、マスコミ面では米倉斉加年を牛耳つてゐますが、役に立たなくなつた夏八木を棄てます。追ひ詰められた夏八木は全てを暴露した遺書を残して自殺します。平幹二朗あての遺書もあり、これで三國を打ち取らうと真田に協力を呼びかけるのでした......

 清張ものらしく、悪い奴らで満載です。復讐ものなのに、感情移入できないので、目的を成就しても爽快感はありません。多分本筋は平幹二朗の復讐譚だつたのが、無理矢理真田+名取の物語を挿入した感じなので、少し不恰好な脚本になつてゐます。
 その中でも、三國連太郎の怪演が目立ちます。粗にして野だが、さらに卑でもある、兎に角下品な権力者を表現して余すところがありません。も一人卑だつたのが、意外にも記者の渡瀬恒彦でした。正義の為に事実を追究するのではなく、入手したネタで三國を強請る。これでは消されて当然です。僅か600万円で命を落しました。

 ストオリイに一本の太い幹のやうなものが無いので、最後の感動も薄いのでした。興行的にもうまくいかなかつたやうで、そのせいかどうか、本作の公開後、ほどなく霧プロダクションは解散します。同時に、本作まで毎年のやうに製作されてきた松本清張作品の映画化も本作を最後に途絶えます。次の作品までは2009(平成21)年の「ゼロの焦点」リメイク(犬童一心監督)まで、何と25年の時間を要するのでした。

 ※その他
 ◎テツ要素としては特急「加越」などが登場。当時はエル特急なるものが跋扈し、特急の質的低下が叫ばれてゐました。実質新快速の有料化みたいなものです。「加越」なんてネイミングも詰らない。
 ◎相互銀行の第二地銀に移行する時代背景。地元愛知県でも「名古屋相互銀行」「中央相互銀行」「中京相互銀行」が夫々「名古屋銀行」「愛知銀行」「中京銀行」となりました。
 ◎ワルどもが集まりエロビデオを見る場面は、「無修正本番だ」などと云つて皆高校生みたいにソワソワしてゐます。自由に裏映像が見られる現在からすると、この反応はそのタイトル通り「驚愕」であります。

2020/06/04

2020/06/05

50点

選択しない 


人類信愛!

ネタバレ

 清張原作の映画化作品。原作は夜の街を舞台にしての政財界の醜い癒着をえぐり出した、いかにも清張らしい社会派サスペンスなのだけど、それを脇に置いやり、代わりに若い男女の濃厚ラブストーリーを中心に据えているので、なんともちぐはぐな印象の作品になってしまった。
 そうは言っても相互銀行の社長、下田役の三國連太郎がえげつないほどのエロハゲ親父ぶりを発揮していて見どころだ。画面に出てくるだけで存在感あり過ぎ。夏木勲演じる社長を恫喝するあたりの迫力はやはりこの人ならでは。バーコード頭のその容貌は当時の首相によく似ていてドキッとする。
 政治家、根上淳と三國とのやり取りなどはまさに悪代官と越後屋の癒着そのもの。80年代とはいえ随分古臭い演出をしたものだ。まるで時代劇である。もっともおかげで悪役側の立ち位置は随分とわかりやすいものになったが。
 わかりにくいのは真田と名取の関係だろう。二人のラブストーリーを中心に据えたくせに、恋に落ちる様子がよくわからない。いつの間にか深い仲になっているといった唐突感が拭えない。二人の恋路をストーリーに無理やり嵌め込んだような感じがする。
 料金所職員の平幹二朗などは重要な役割を担う役どころなのに、この二人に脇に追いやられてウロウロしているようにしか見えない。
 映画は下田に親を殺されたジョー(真田)による復讐劇という体裁になっていて、彼との恋に落ちた銀座のママふみ子(名取)がその手助けをするというもの。まるで必殺シリーズのような組立てになっている。ここも時代劇ふう。
 下田がこよりを楽しそうによっているシーンが印象的。何に使うのかと思ったらアレ。
その濡れ場を襲うジョーの出で立ちはまるで忍者。いろいろと変化球を投げてくる。悪役たちの裏ビデオ鑑賞会での刺殺シーンはまさに必殺シリーズだ。
 終盤は二人の恋を印象づけるためであろう、何度も日本海の荒波をインサートして見せる。二人の行く手はこの海のように波乱含みだという暗喩だろうか。二人の恋路は別の映画として撮ってもらいたかった。

2016/08/06

2016/08/08

50点

レンタル/東京都/TSUTAYA 


当時、世間の松本清張離れを決定づけた作品

1980年代の銀座。
政界、財界の御用達、そして、ネオンきらめく彩り河。
そこの会員制クラブのママ(吉行和子)は、ある相互銀行の会長(三國連太郎)の囲われ者だ。
その会長は、過去に実にあくどいことをしており、いくつかの殺人にも手を染めていた・・・

というハナシは、1984年時点でも、相当に前時代的であり、権力を有している者が色と欲に狂っているというようなハナシである。
その狂った男に人生を翻弄された男たちが復讐をするというのが主軸で、そこへ若い男女(真田広之、名取裕子)が絡んでいく。

とにかく脚本がヒドイ。

監督も務める三村晴彦のほかに、仲倉重郎、加藤泰、野村芳太郎の四人が名を連ねているが、とりとめがない。

DVD同時収録の「特報」「予告編」とみると、おぼろげに理由がわかる。

松本清張の新作長編小説の映画化権を買ったあと、第一回監督作品の『天城越え』(原作・松本清張)で評判を得た三村晴彦に脚本を書かせたけれど、どうにも映画としての見どころに乏しい。
特報には、真田広之、名取裕子の名がないところから推測するに、たぶん、このときの映画は、相互銀行の会長に翻弄された中年男性たちのハナシだったように思える。
同じ松本清張原作の『わるいやつら』『逃走迷路』で、社会の巨悪(政財界の下衆なひとびと)を描いて、観客動員に陰りが見えていた松竹は、若手の真田広之、名取裕子というふたりを確保して、映画の方向性を変えようとしたのだと思う。
さらに、真田広之、名取裕子のふたりは、当時すでに東映作品で実績もあるので、たぶん、それほど、撮影期間がなかったと思われる。

で、仲倉重郎、加藤泰の出番で、男女の執着を盛り込もうとしたのだろうが、失敗。
さらに、製作も兼ねている野村芳太郎も登場して訂正しようとするが、社会の巨悪中心に挑む男たちのハナシに、若い男女の恋愛がうまく絡むはずもなく、とりとめのない作品になったと推察する。

それは演出にも表れていて、あまりにも下衆な三國連太郎たちと、一瞬で恋に落ちる若い二人を延々とカットバックで写すシーンに表れている。
(たぶん、ここは、三村監督が書いていなくて、先輩たちの脚本を立てたように見える)

ということで、この映画はヒドイ。
この映画のあと、松本清張原作の映画は2009年の『ゼロの焦点』までない。
テレビの単発ドラマでも1991年まで間が空いている。

まぁ、この映画のせいだけではなく、時代に翻弄されたひとびとを描いていた松本清張が、いつしか翻弄する側の下衆な権力者を描くようになって、そっぽを向かれるようになったことに気づかなかった当時の映画会社が悪いのではあるが。