第三の男

だいさんのおとこ|The Third Man|The Third Man

第三の男

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レビューの数

125

平均評点

78.7(644人)

観たひと

960

観たいひと

66

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル サスペンス・ミステリー
製作国 イギリス
製作年 1949
公開年月日 1952/9/16
上映時間 104分
製作会社 ロンドン・フィルム
配給 東和=東宝
レイティング 一般映画
カラー モノクロ/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「ホフマン物語」のアレクサンダー・コルダと、「白昼の決闘」のデイヴィッド・O・セルズニックが協同で提供する一九四九年作品で、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した。戦後イギリス文壇で代表的な位置に立つカソリック作家グラハム・グリーンが映画のために原作を書卸し、自ら脚色、これを「邪魔者は殺せ」のキャロル・リードが監督、同時に製作も担当している。撮影は「邪魔者は殺せ」のロバート・クラスカー、装置は「バグダッドの盗賊(1940)」のヴィンセント・コルダ他の担当である。なお音楽はこの映画のためにウィーンのツィター演奏家アントン・カラスが作曲、自ら演奏したものが唯一の伴奏となっている。主演は「旅愁」のジョゼフ・コットン、「白銀の嶺」のアリダ・ヴァリ、「黒ばら」のオーソン・ウェルズ、「黄金の龍」のトレヴァー・ハワードで、以下「会議は踊る」のパウル・ヘルビガー、バーナード・リー、エルンスト・ドイッチ、エリッヒ・ポントらが助演する。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

米国の西部作家ホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、旧友ハリー・ライムに呼ばれて、四国管理下にある戦後のウィーンにやって来たが、ハリーは自動車事故で死亡し、まさにその葬式が行われていた。マーティンスは墓場で英国のMPキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)と連れになり、ハリーが闇屋であったときかされたが、信ずる気になれなかった。ハリーは生前女優のアンナ(アリダ・ヴァリ)と恋仲であったが、彼女と知り合ったマーティンスは、彼女に対する関心も手伝ってハリーの死の真相を探ろうと決意、ハリーの宿の門衛(パウル・ヘルビガー)などに訊ねた結果、彼の死を目撃した男が三人いることをつきとめた。そのうち二人はようやく判ったが、“第三の男”だけはどうしても判明しないまま、マーティンスは何者かに脅かされはじめ、門衛も殺されてしまった。一方アンナは偽の旅券を所持する廉でソ連MPに粒致されることになり、それとも知らずに彼女の家から出て来たマーティンスは、街の物陰に死んだはずのハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)をみつけた。ハリーがペニシリンの密売で多数の人々を害した悪漢であることを聞かされていたマーティンスはこれをMPに急報し、アンナの釈放と引きかえに彼の逮捕の助力をするようキャロウェイから要請された。マーティンスはハリーと観覧車で逢い、改めて彼の兇悪振りを悟って、親友を売るもやむを得ずと決意したが、釈放されたアンナはマーティンスを烈しく罵った。しかし病院を視察してハリーの流した害毒を目のあたり見たマーティンスは結局ハリー逮捕に協力することになり、囮として彼をカフェで待った。現れたハリーは警戒を知るや下水道に飛込み、ここに地下の拳銃戦が開始され、追いつめられた彼はついにマーティンスの一弾に倒れた。かくて改めてこの“第三男”の埋葬が行われた日、マーティンスは墓地でアンナを待ったが、彼女は表情をかたくしたまま彼の前を歩み去って行った。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2010年7月下旬号

午前十時の映画祭:「カサブランカ」「第三の男」

1952年11月上旬号

外国映画批評:第三の男

1952年増刊 名作シナリオ選集

コンティニュイティ 第三の男:THE THIRD MAN

1952年8月下旬号

“第三の男”合評 新しい分野の發見:田坂具隆×五所平之助×成瀬巳喜男×木下惠介

1952年7月上旬夏季特別号

研究 キャロル・リード:「第三の男」におけるキャロル・リードの技法

外国映画紹介:第三の男

1952年5月上旬特別号

グラヴィア:第三の男

2025/12/02

2025/12/02

51点

選択しない 


ラストシーンは確かに良かった

なんとなくあの男はああやって何度も女の前に姿を現すんじゃないかなーと、個人的にはそんな未来が見えた。人生長いから、もしかしたらその間に心が動くこともあるかもしれない。

ただ本編の大部分は何が良いのかさっぱり分からなかった。世の中のおじさんたちがこの映画を絶賛する意味が分からない。主人公のキャラクターが魅力的だとは思わないし、物語の謎も結局想像の域を出なかった。

主人公が愛or正義で葛藤するのは良いんだけど、そこに親友という要素が入ってきて複雑化してしまっている。結果焦点がぼやけてしまい、今ひとつ乗り切れない。
親友ならば説得して更生させるという選択肢は主人公の中に存在しないのだろうか。もしくは元恋人の愛の深さを説いて二人の仲を取り持つとか。
そもそもこの物語は「親友を訪ねてくる」という所から始まって、物語の大部分も「親友の死の謎を解く」というものであって、それがラブストーリーで締め括られるというのはなんだか妙な所に辿り着いたなという印象を受けてしまう。本来なら親友という要素をもっと大切にするべきなのだ。友情or正義の二律背反で主人公が苦悩するのであればまだ納得できた。
もしくは物語の大部分を主人公とヒロインの関係を深めるものに割くとか。人物評を見る限りではこちらの方が本来はやりたかったのだろうか(オーソンウェルズは三番手)。だがどうも二人で協力して事件の真相を追いかけている印象は薄い。大部分は主人公が一人で聞き込みをしているし、ヒロインはせいぜい翻訳係程度の仕事しかしていない。というかヒロインの動機が薄い。こいつは何をしたかったんだろう。恋人の死の真相を知りたかったとかそういうモチベーションはないの?

こういう世の中の評価に対して自分の評価がズレる作品はレビューを書くのが本当に難しい。識者の解説を求む。

2025/11/01

2025/11/02

80点

その他/録画BSプレミアム 
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アメリカを皮肉る

ネタバレ

  ホリー(ジョセフ・コットン)が、アンナ(アリダ・ヴァリ)の為だけれども、彼女の愛したハリー(オーソン・ウェルズ)を裏切ったので、やはり、アンナは、ホリーを許すはずはないし、ラストでアンナがホリーを無視するのは当然だろう。

 また、ホリーは、言われているように、彼がアメリカの象徴だとすると、これは、アメリカの愚かさを皮肉る映画だろう。

 ハリーのオーソン・ウェルズの顔が見えた瞬間が魅力的で、彼が主役かと思う。

 戦争の背景と、象徴が多過ぎて、やはり、分かりにくく、辛かった。でも傑作だろう。

2025/10/12

2025/10/13

100点

選択しない 


観るたびに圧倒される

まさに光と陰のアートを観ている様な高揚感のある名作。もちろんミステリアス&スリリングなストーリーも見事ですが、それ以上にモノクロ映像の利点を極限まで活かした絵作りに感動します。何度も観たい私的生涯の映画。

2025/10/05

2025/10/08

97点

購入/DVD 
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「私の一部」という愛情表現

 本作はすでに何回か観ているが、改めてスピーディーな展開に目を見張る。特に導入部のテンポの良さにグイグイ引き込まれる。こんなにおもしろいのに、恥ずかしながら、初めて観た時は途中で寝てしまった。あの頃に戻って、たたき起こしてやりたい。
 ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の葬儀で始まり、彼の葬儀で終わるという変わった趣向だ。戦後まもないウィーンに、友人ハリーの招きで、アメリカから作家のホリー(ジョセフ・コットン)がやって来る。ハリーの死に不審を感じたホリーは交通事故現場からハリーの死体を運んだという二人を突き止めるが、実はもう一人、男がいたという証言を聞く。正体不明の「第三の男」だ。
 ホリーはハリーの恋人だったアンナ(アリダ・ヴァリ)にも近づき、真相を探ろうとするが、彼女の魅力のとりこになって行く。やがてハリーがまだ生きていることがわかり、ホリーにまだ未練があるのかと聞かれても、アンナは「会いたくないわ。でも私の一部なの」と答える。この一言で、アンナがどれほどハリーを愛しているかがわかる。その肝心のハリーはなかなか姿を現さず、開始1時間以上もたってからようやく暗闇から現れるが、また消えてしまう。
 ラストシーン、ホリーを無視するアンナの険しい表情が、ハリーへの愛の深さも表している。

2025/08/24

2025/08/24

50点

テレビ/無料放送/その他 
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画面が暗すぎて何が何だかわかりません・

放送大学のの231オーディトラムで見ました。映画芸術への招待で紹介されていたので観たのですが、白黒画面で夜の場面ばかり登場するのでまっ黒になりなにがなんだかわかりません。オーソン・ウェルズの演技も鼻を突きます。何が言いたいのかさっぱりわかりません。ウイーンで撮った意味があったのでしょうか。何をもって名作とするのか?ただただ退屈な映画でした。

2024/12/31

2024/12/31

-点

VOD/U-NEXT/レンタル/テレビ 
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ハリー・ライムは死んだのか

「ボルジア家30年の圧政はダ・ヴィンチやミケランジェロを産み出した。ではスイス500年の民主主義は何を産んだ?鳩時計さ」

第二次大戦後間もないウィーンは米・英・仏・ソの4カ国に分割統治されている。三流作家ホリー(演:ジョセフ・コットン)は、親友ハリー・ライム(演:オーソン・ウェルズ)から仕事を斡旋されてウィーンに招かれるが、着いた途端にハリーが車に轢かれて死んだことを伝えられる。不慮の事故死であり、事故後ハリーは友人二人に運ばれたという。だが即死なのか息があったのかが目撃者ごとに違っており、納得がいかないホリーは独自に事故を調べ始める。するとハリーの遺体は三人の男に運ばれたことが判明する。「第三の男」は何者なのか?
グレアム・グリーンが映画製作のために小説を書き下ろし、キャロル・リード監督が映像化したのが本作である。オーストリアの民族楽器ツィターを用いたアントン・カラスによるテーマ曲はあまりにも有名で、日本では言わずもがな、某ビール会社のCM曲として名高い(またはJR山手線・恵比寿駅の発着音か)。映像としても、部屋の窓から漏れた灯りで暗闇の中に突然浮かび上がるオーソン・ウェルズの顔など、映画史上の名シーンが多い。
グレアム・グリーンの原作小説を読んだのは15歳の秋、ざっと20年近く前のことである。だからストーリーは知っていたが、食わず嫌いやら後回しやらタイミングの悪さやらが重なった結果今日まで観てこなかった。にも関わらずその間に"聖地巡礼"は済ませてきた。物語としては戦後間もないウィーンという状況でしか成立し得ないが、テーマそのものは鮮度を失わない。これ、よくよく考えたら"闇バイト"の話だわ。となると、またいつものように開き直るが、むしろこのタイミングまで温存したのは大正解だったのではないか。
原作の後書きにあった裏話をひとつ。ジョセフ・コットン演じるホリーの役名は原作ではロロである。名前の変更の理由は"同性愛っぽいから"というものだが、そうなると実はホリーは表では「親友」と言いながらも本当のところは...となる気がする。ハリーにはウィーンの舞台女優アンナ(演:アリダ・ヴァリ)という恋人がいるが、実際はトライアングラーと見るべきだろう。で、商業的には折れたもののグリーンの意図を汲みとったリード監督は最後に大博打を打った。結末を変えたのである。原作では全く違う結末で物語が終わるが、グリーン曰く「キャロル・リードの勝利」だったらしいし、観る側も「まあ、そうだろうな」と思わせる。しかもその結末を全く非の打ち所がない画角と演出で撮り切るのだから、キャロル・リードという男は本当に憎らしい。
斜に構えたカットイン、モノクロを最大限に活かすために影を使用した表現...古典は今もなお色褪せない。