オーソン・ウェルズ
|Orson Welles| (出演/脚本/監督/製作)
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| 本名 |
- |
| 出身地 |
アメリカ、ウィスコンシン州ケノーシャ |
| 生年月日 |
1915年5月6日 |
| 没年月日 |
1985年10月10日 |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
【全世界を揺るがした早熟の天才監督】アメリカ、ウィスコンシン州ケノーシャの生まれ。父は発明家、母はピアニスト。1931年にトッド・スクールを卒業。在学中から学生演劇を経験していたウェルズは、アイルランドのダブリンのゲイト劇場に年齢を偽って入り、舞台に立つ。それからロンドン、モロッコ、スペインを経て、33年にニューヨークに移った。36年ニグロ・ピープルズ・シアターで『マクベス』を演出、注目を浴びる。38年、ウェルズの構成・演出で、H・G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』をラジオ・ドラマとして放送、“火星人襲来” という物語を臨時ニュースのスタイルでドキュメンタリー的に放送したために、全米が大パニックとなる。のちに“伝説”となったこの騒動発生のとき、ウェルズはまだ23歳だった。この特異な個性にハリウッドが目をつけ、41年、RKOに招かれて初監督作「市民ケーン」を手がける。映画史上に輝く作品だが、製作当時はモデルになったハースト系の新聞から激しい攻撃を受け、興行的にも失敗した。高い評価で称えたのはむしろヨーロッパで、26歳の天才監督の名は世界に轟いた。次に産業革命の興隆と地主階級の没落を対照的に捉えた「偉大なるアンバーソン家の人々」(42)を撮るが、完成品が131分だったのに対し、会社側はそれを88分に短縮して公開した。こうしてハリウッドに嫌われた彼は、戦時中はラジオ、演劇にかかわり、映画の世界から離れていた。サスペンス・スリラーの名作。【サスペンス・スリラーの名作】戦後の第1作「オーソン・ウェルズIN ストレンジャー」(46)に続く「上海から来た女」(47)はサスペンス・スリラーの傑作で、「市民ケーン」の力量は本物であることを証明した。「マクベス」(48)、「オセロ」(52)はもともと演劇青年だったウェルズのシェイクスピア劇、そして「黒い罠」(58)は、メキシコの国境の町で起きた殺人事件をアメリカとメキシコの刑事が合同捜査するが、徐々にアメリカ刑事の卑劣ぶりが明らかになるというミステリーの秀作である。フランスで撮った「審判」(63)はフランツ・カフカの代表作を映画化したもので、現代人の不安を映像化した問題作だった。以降も「オーソン・ウェルズのフォルスタッフ」(66)、「オーソン・ウェルズのフェイク」(75)などを撮り、その鬼才ぶりを披露したが、後に“私は頂上からスタートして、後は滑り落ちただけだ”と言うように、第1作の「市民ケーン」のような、全世界を揺るがすような傑作をついに生むことはなかった。一方で、俳優としては、自作以外では「第三の男」(49)、「白鯨」(56)、「パリは燃えているか」(65)、「さすらいの航海」(76)など、最後まで特異なマスクと体格の性格俳優として活躍した。
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| 2026年3月号 |
巻頭特集 「嵐が丘」の狂気の愛、そして映画は文学をまたイメージする:PART2 映画と文学、交叉する視線 エッセイ オーソン・ウェルズ、文学との衝突あるいは闘争
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| 2015年3月上旬号 |
クロージング・タイムClosing Time 映画が終るとき:オーソン・ウェルズ「オーソン・ウェルズのフェイク」
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| 1995年9月上旬号 |
特別企画 オーソン・ウェルズ「イッツ・オール・トゥルー」:作品評 木全公彦
特別企画 オーソン・ウェルズ「イッツ・オール・トゥルー」:幻のウェルズ映画 その呪いと復権
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| 1993年8月下旬上半期決算号 |
特集 オーソン・ウェルズ再検証:復元された天才の素顔
特集 オーソン・ウェルズ再検証:俳優=オーソン・ウェルズ
特集 オーソン・ウェルズ再検証:監督=オーソン・ウェルズ
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| 1991年12月上旬号 |
ビデオ:V・レポート “オーソン・ウェルズ”
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| 1986年10月下旬号 |
特集 オーソン・ウェルズのフォルスタッフ:オーソン・ウェルズ語る
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| 1985年12月上旬号 |
追悼:オーソン・ウェルズ
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| 1978年8月下旬号 |
妄想映画館:オーソン・ウェルズがフェイクだ
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| 1978年8月上旬号 |
グラビア:オーソン・ウェルズのフェイク
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| 1974年8月下旬号 |
グラビア:オーソン・ウェルズ 「宝島」
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| 1952年4月上旬特別号 |
オーソン・ウェルズの今と昔:
オーソン・ウェルズの思い出:
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