子役がうますぎるなあ。これもクリント・イーストウッド監督の功績かな
ケヴィン・コスナーとクリント・イーストウッド二大スターの共演というのが、本作の売りとして宣伝もそういう姿勢であった。
けれど実際に観てみるとケヴィン・コスナーが扮する犯罪者と人質にした幼子が次第に心を通わせるというストーリーだ。
恐らくはクリント・イーストウッドが監督するならば、興行的な面から出演もした方が良いんじゃないか、ということで脇役として出たんだと思う。
二大スターが対決という売りなら、ふたりが顔を合わせる場面がおおくてしかるべきだが、彼らが顔を合わせるのは最後のところに来てからだから。
クリント・イーストウッドにしてもこの作品は犯罪者と少年のかかわりが主体だということで顔見せ程度の出演にとどまっている。で、やっている役のキャラクターはハリー・キャラハンみたいなもの。いつものイーストウッドである。
態度がデカいお偉いさんには反抗的なところを見て、ファンは満足できる。
最初に頭上にいるヘリコプターを倒れているケヴィンが見つめている。そこを紙幣が風に流されている場面があり、それはラストで描かれている場面である。
冒頭ではこれは何の意味だ?と思いながらもラストまで出てこないから忘れてしまう。忘れてしまうが、ラストを観て、ああこういう意味かと納得する。最初と最後を同じ場面で収めるというのは典型的なものだろうが、主人公が銃弾に倒れるというところはニューシネマっぽい味もある。
クリント・イーストウッドはアメリカン・ニューシネマ時代にスターになったのだから、そういう風な描き方も影響を受けているだろうと思う。「ダーティハリー」もニューシネマの時代だからこそ大衆に受け入れられたと思う。ハリウッドが全盛期時代では描けない映画だし