男性      女性

※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。

NEWS

KINENOTE公式Twitter

鑑賞日 2016/08/06  登録日 2016/08/07  評点 93点 

鑑賞方法 映画館/福島県/イオンシネマ福島 
3D/字幕 -/-
いいね!レビューランキング 29298位

メチャクチャおもしろかった。ここ数年で一番!!

いい映画だという噂を聞いていたが、実際見たら、噂以上にいい映画だった。
ここ数年見た映画の中でも、わたしのベスト1ではなかろうか。
つまり、「ゴジラ」の映画史を見ても、一番といってもいいと思う。

「踊る大捜査線」がかつて、大衆に広がった一つの理由に、「警察組織」の「あるあるネタ(というか、情報、状態)」をドラマの中にふんだんにもりこんだことがある。これは、「警察」そして「公務員」そして、日本の「組織」「集団」に対しての、皮肉、批判、情けなさを自分たち(日本人が)自虐的に描いているという構図があったと思う。
「ほんと、おバカだな、警察。」と言いつつも、自分自身が生きている「組織」「集団」そして「自分自身の組織内での振る舞い」はどうなのか?と思わせるわけだ(もちろん、「馬鹿な奴ら」と思うだけで、自分はどうなん?と思わない人もたくさんいるだろうし、そう思う必要もないのかもしれないが)。

「シン・ゴジラ」は、その「日本政府版」である。
「ゴジラ」という「想定外」が東京にやってくる。
この「想定外」に対して、日本政府はどんな対応をするだろうか。そこを、まるで「踊る大捜査線」のように、コミカルに、しかし、(日本人からすると)「情けないほどに」描いていく。
この映画は、もしかしたら、外国に持っていっても、何が面白いのか、何がすばらしいのか、全く通じないかもしれない。日本人でなければ通じない「組織の考え」「集団の考え」が描かれているからだ。

そんな、日本特有の「組織(集団)機能不全」に至る中、一人気を吐くのが、長谷川博巳さん演じる、矢口(副官房長官だっけ?)が実力本位(だけど、皆、組織ではうまく働けないでいたであろう変わり者)を集めて動いていくわけだけど、「想定外」のことが起きたときに、はたしてこのように動けるか、動ける人がいるのか、動ける組織の余地があるのかということを考えてしまう。

また、わたしに引き寄せて考えると、例えば、集団、組織が混乱する中、もし「長谷川博巳」のような人が目の前に現れたとして、その人はこの混乱を打開するためによりよいリーダーシップをとってくれる方だろうから、フォローしようと思うかどうかである。「こいつ、何を変なこと言っているのだ。馬鹿なこと言っている。ダメじゃん」と判断する可能性もあるわけで。

ゴジラを退治(という表現は妥当なのかどうか?)していく、過程は、まさしく庵野秀明さんの真骨頂。エヴァンゲリオンの考えが全開だった。まぁ、エヴァ的といえばそれで終わってしまうのだろうけど、日本的といえば、日本的である。最終的に核でやっつけるしかないのではないかと思われる状況で、知恵と勇気、そして、普段は足を引っ張り合ってしまう「日本的な(集団性)」が存分に発揮されるわけである。

(これはわたしだけの感覚かもしれないが)ことごとく「想定外」に対して、対応できない日本の組織の中で、唯一、「自衛隊」だけがしっかりと機能している組織として描かれたように思う。これを、どう受け取るか……である。しばし、考えよう。

また、「福島県人」として考えてしまったのが、竹野内豊が演じる、内閣総理大臣補佐官が、最後のあたりに「この国はスクラプ&ビルドをくり返し、前進してきた」のような発言をします。
さて……。この「シン・ゴジラ」を見ると、東日本大震災を思い出す方が多いと思うのですが……。「スクラップ&ビルド」をしてきたのでしょうか。
わたしは、東日本大震災があったとき、絶対にあってほしくはなかったし、悲しい出来事ではあったけど、逆に考えると、行き詰まり感のあった「日本」という国を大きく変換させるチャンスなのかもしれないと思いました。
しかし、どう考えても、「以前のシステムをいかに早く戻すか」ということしか考えていないように見えて「新しい何か」を生み出すことができなかったわたしたちという気持ちでいます。もちろん、構成員の一人に自分がいるので、その力の無さ、むなしさを感じていますし、ずっと引きずっております。

とにかく、日本という社会を、「ゴジラ」という虚構であぶり出した、とてもすばらしい映画と思いました。

(そうそう、7月末に息子と「インデペンス・ディ リサージェンス」を観ました。CG部分はともかく、数人のその場その場の判断で何を切り拓いていく、わたしから言えば都合よく進むストーリー展開にうーん、なんか腑に落ちないよなぁと思っていたのですが、もちろん、このシン・ゴジラだって、都合よい話の収束に進むわけですが、その進み方が、組織の中で展開していくという日本らしい話になっており、納得感が大きいです。これが、米国人と日本人との感覚の違いなのかなと思いました)