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鑑賞日 2026/01/10  登録日 2026/01/11  評点 60点 

鑑賞方法 映画館/東京都/ヒューマントラストシネマ渋谷 
3D/字幕 -/字幕
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誰でもない私

冒頭、インフルエンサーのマディソンが見せる陰りのある表情が、このドラマの行き先を静かに暗示している。美しい彼女は、自撮りのときには極上の笑顔でカメラに向き合うが、ひとたび仕事を終えると、その表情は一気に曇る。
大きなスポンサーを背負うインフルエンサーは、誰にでもなれそうで、決して簡単ではない存在らしい。その微妙な心境が、言葉ではなく映像で描かれていく。タイの美しい海を背景にしている点も、強い対比を生んでいる。

しかし、本作でより鮮烈な対比を担うのは、顔に傷を持つもう一人の女性、主人公だ。観客は、この女性の顔の傷と、終始向き合い続けることになる。
主人公がインフルエンサーの美しい女性を無人島に置き去りにする衝撃的な場面、そして彼女と入れ替わる過程の描写は、『太陽がいっぱい』や『顔を捨てた男』などを想起させる。同一性の奪取、あるいは成り代わりの物語である。

ここにもまた、「同一性」という視点がある。

近年の映画に共通して浮かび上がるこの同一性は、性別や階級を超えて拡散している。そしてそれは、SNSの普及と無関係ではないだろう。

ユーチューバーやインフルエンサーといった、「注目されたい」という人間の深層心理をマーケットに差し出し、実現可能なものとして見せるSNSという装置。それは人生を狂わせる危うさを孕みながら、「誰にでもなれる」という錯覚を利用してフォロワーを増やし、経済を動かしていく。人は資本という波に、知らぬ間に飲み込まれていく。

主人公が次々にインフルエンサーを殺める動機は、単純に金だ。自分の取り分を確保したら、サイトは閉じる。しかし、その行為に終止符が打たれたとしても、物語が終わるわけではない。

顔に刻まれた傷は、彼女固有のもののように見えながら、実は誰のものでもありうる。可視化された欠損、可視化された欲望。

「誰にでもなれる」という幻想が拡散される限り、同一性は繰り返し生成され、奪われ、消費される。資本は顔を替え、名前を替え、今日も別の誰かを呼び寄せる。

顔に傷のある女性は、例外ではない。彼女は、すでに私たちの側にいる。いや、彼女は私たちの側にいるのではない。すでに、私たちなのだ。