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鑑賞日 2025/11/16  登録日 2025/11/16  評点 71点 

鑑賞方法 VOD/NETFLIX 
3D/字幕 -/字幕
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You are monster

弟ウィリアムが死の間際に兄ヴィクターへ放った「You are monster」という言葉だが、この一言は、物語の中のヴィクターだけでなく、スクリーンを眺めている“我々”へ向けられているのではないか。

私たちは「死」という最も確かな終わりを忘れ、機械やテクノロジーに依存しながら、自分だけは例外のように振る舞っている。怪物を他人事として見つめるその目こそ、怪物的な無自覚に満ちている。

ミア・ゴスの演じるエリザベスは、ヴィクターの深い心理を見抜き、そして怪物を愛する数少ない人物だ。彼女は、ヴィクターが欲望と恐怖の狭間で何を求めているのかをすでに理解している。結婚式でヴィクターの“流れ弾”に倒れ、怪物の腕に抱かれたまま死ぬシーンは、本作の最も美しい瞬間である。

そして盲目の老人――彼もまたこの物語の鍵を握る存在だ。老人は怪物に聖書や『失楽園』を読み聞かせ、言葉と理性を与え、怪物を“人間として成熟”させる。彼自身、革命の余波で祖国を追われた人物であり、かつては社会にとっての“怪物”だった。だからこそ、怪物の中に人間性を見つけ出すことができる。

怪物はウィリアムも、エリザベスも、盲目の老人も尊敬している。
しかし社会は、怪物が彼ら全員を殺したと決めつけ、死をもって「清算」しようとする。だが怪物は、死ぬことすら許されない。

何をしても怪物として扱われ、善行も赦されず、永遠に“罰”としての生を背負わされる。これはまさに“ヨブ記”的な構造である。理由もなく責められ、罰され、答えを与えられない存在。

一方でヴィクターは、死に際の弟から「お前こそ怪物だ」と突きつけられる。怪物を作り、責任を取らず、自身の罪を他者に転嫁する。その姿こそが真の怪物であり、物語の構造は巧妙にその事実を反転させて見せている。

この映画を通じて強く感じるのは、怪物に憐れみを寄せる我々観客が、実は最も怪物的な存在なのかもしれないということだ。私たちは社会という“暴徒”を止められず、SNSのヘイトや暴君への喝采に無意識に加担し、何もしないことで世界の狂気を黙認している。

そんな我々に、死ぬことすら許されない怪物へ同情する資格が本当にあるのだろうか。

デル・トロ監督がこれまで描いてきた「見世物にされる怪物と、それを愛する人間」。本作は、そのテーマの源流がフランケンシュタインにしっかりと根を張っていることを、静かに、しかし強烈に示している。