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レッド・ツェッペリン:ビカミング
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4人それぞれの生い立ちからバンド結成に至るまでの過程を、本人たちのインタビューと貴重な映像で描き切っている。ジミー・ペイジとマネージャーのピーター・グラントがアメリカに渡り、いきなりアトランティックと契約を結ぶ大胆な戦略を取り、シングルを出さずに全米ツアーを始める。その後、母国イギリスで凱旋公演を果たすまでの軌跡が丹念に記録されている。 ジョン・ボーナムの知られざる音声も交え、バンドの結束力がいかに強固だったかが明かされる。ペイジは両親の理解を得て幼少期から音楽活動を開始し、ジョン・ポール・ジョーンズはボードビル出身の両親のもとで育ち、ロバート・プラントは住む場所すらないほどの貧困を経験していたことが語られる。 ペイジが映画『ゴールドフィンガー』でシャーリー・バッシーの歌うテーマ曲のギターを担当していた事実は驚きだ。ジョーンズも編曲やスタジオワークで高い実績を残し、解散状態だったヤードバーズのメンバー募集を契機に、この才能あふれる4人が集結した。 アメリカツアーでの苦労や、帰国後に評価が低かったことも衝撃的だ。ライブで子どもが耳をふさぐシーンは、当時の彼らの演奏の過激さを物語っている。ペイジが少年時代に憧れたロニー・ドネガンの曲が、後の「ホット・ドッグ」に反映されている点も興味深い。 デビューアルバムからセカンドアルバムまで、1969年に2枚のアルバムを立て続けにリリースするまでの歩みが詳細に映像化されている。現役時代、彼らがほとんど公のインタビューに応じなかったことを考えると、1980年にボーナムが亡くれてから45年を経て、当時を映像で追体験できる本作の価値は計り知れない。 4人が幼少期を過ごしたのは第二次世界大戦後の復興期であり、イギリスからアメリカへと覇権が移る時代だった。ペイジはその潮流を先取りし、音楽とビジネスを結びつけた。バンドの軌跡を知る上で欠かせない記録映像である。
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