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ストレンジ・ダーリン
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J.T.モルナー監督による『ストレンジ・ダーリン』は、被害者と加害者の構図を装いながら、その境界を容赦なく引き裂くサイコスリラーである。同時に、これは物語の順序=ナラティブの暴力を描く作品でもある。 物語は6つのチャプターで構成され、視点と時間軸が絶えず入れ替わる。「彼女」が逃げるのはなぜか。「彼」は本当に殺人鬼なのか。1つの出来事が複数の視点から繰り返されることで、観客は事実よりも“語られた順番”に引きずられる。ここでは時間も真実も固定されず、誰の言葉も信用できない。 この構造を支えているのが、35ミリフィルムで撮影された美しい映像だ。フィルム特有の粒子感と陰影が、森の緑や夕暮れの光、血の赤さえも豊かに描き出し、登場人物たちの狂気と感情を視覚的に支える。とりわけ、開巻冒頭のフィルム挿入ショットは、まるで「これはフィクションではない」と観客に誓約させる儀式のようだ。虚構であるはずの映画が、ここでは異様な現実感を持ち始める。 終章「Who’s Gary Gilmore?」は、1977年に銃殺刑を選んで死んだ実在の殺人犯の名を通じて、「自ら死を選ぶ者」と「他者を裁く者」が重なり合う瞬間を描く。無名の“Electric Lady”は、逃げる女ではない。彼女は語りを奪い返す存在であり、「狂気」をもって自らの正義を貫こうとする。 エンドロール後に流れるラジオ風の音声は、彼女の存在が地元の都市伝説――「ビッグフットの仕業」――として消費されていく様を皮肉に描く。物語は歪み、記号化され、彼女の実像は語られないまま霧の森へと吸い込まれていく。 『ストレンジ・ダーリン』とは、ただの“奇妙な恋人”ではない。ナラティブに潜む暴力、女性像の反転、そして映像による精神の剥離を鋭く描き出す、美しくも危険な映画体験だ。そして“エレクトリック・レディ”は、見る者の倫理観そのものに、電撃のようなショックを与えてくる。
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