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ノー・アザー・ランド 故郷は他にない
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最も腹立たしいシーンは、現地をトニー・ブレアが7分間訪れたシーンだ。もちろん彼個人を責めても無駄なことは承知だが、この問題を引き起こしたイギリス人が通り過ぎてゆくシーンを主人公のバーセルが覚めた目でカメラを回しているのがよくわかる。 ユダヤとアラブの対立で生まれる友情。ユヴァルとバセルの対話は続く。そしてそれぞれの立場の戦いも続くのだが、現実は悲惨な状況に拍車をかける。小学校が壊されるシーンで嗚咽した。むせるほど泣いた。民主主義の確かさを示す学校が侵略者によって壊される。山崎エマ監督の「小学校」とは程遠い世界。そして入植者が向けたライフルで本当に人が殺されるシーンまで用意されている。これはドラマではない。 このふたりには大きな隔たりがあるものの、カメラ(動画)という共通の武器をかざして侵略を阻止しようとする。この直前に見た「聖なるイチジクの種」という映画も同じだが、本当のことはテレビなどで報道されることはない。 ところが、エンドロールで冷静になると、報道されない現実という意味では日本も同じではないかと気づく。「表現に不自由」にまつわる恐怖や、先ごろから財務省の前で続くデモなどもテレビは報じない。メディアは現実を映さない。 ではSNSが真実かというとそれも違う。今村昌平の「人間蒸発」でも示されたとおり、映像は作られるものだ。 となると、この映画を見て、われわれ人類は何を真実として信じればいいのか。イスラエルにもパレスチナにも神がいる。神の違いを競って対立し殺し合いをするために信仰は存在するのか。 ゴーギャンの作品、タヒチを描く「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」がよぎる。もうわれわれの行き着くところなどないのではないか。まさに「ノー・アザー・ランド」だと強く認識させる映画。そういえば「ノーマンズ・ランド」という映画もあったな。
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