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TOVE トーベ
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ムーミンはトトロの原型でもある。しかし、その生い立ちはまるで違う。冒頭のシーンからエキサイティングだ。これから見る人は、オープニングのシーンをよくみておくといいだろう。トーべのその姿というか仕草というかあの強烈なシーンはラストで納得できる。 いずれにしても驚くべき映画だった。ムーミンの原作者というイメージとフィンランドという国の持つ複雑で先進的な歴史など、しられざる世界がこの映画に展開される。ジェンダーという概念ではなく、自由な愛の形がここにはある。 トーべがある種奔放な愛に生きるのは、親からの抑圧や戦中戦後のフィンランド経済など、彼女の精神を押しつぶそうとする要素があったことが冒頭に示される。チラッと言葉として示されるのが、ソ連との休戦協定に調印というシーンがある。フィンランドは地政学的にも複雑な立地にあって、当時のソビエトがバルト三国を中心に勢力を拡大することに対抗し、ナチスドイツと手を組んで戦った歴史がある。トーべ防空壕で待機するシーンや崩壊したヘルシンキの町を歩くシーンには大きな意味がある。彼女は極度の抑圧の中で喪失感を抱いていたのだ。 だから彼女はインフラも整わないアパートを借りてまでも自由になりたかった。決して裕福ではない家庭と厳格な父親から離れることで、貧しい中でも精神的な開放が一気に彼女へと訪れた。それが妻のあるヴィルクネンとの出会いにつながる。彼と出会うシーンもまた印象的だ。パーティーでヴィルクネンの妻がほかの男と戯れているのを小さく微笑みながら見る彼。そんな彼を愛おしく感じるトーベ。そして二人は深い関係に・・・ しかし家庭のあるヴィルクネンとの関係にも限界を感じる中で、新たにトーベは同性愛に目覚める。舞台演出家でヘルシンキ市長の娘ヴィヴィカとの関係は、妻のあるヴィルクネンからも厳格な父親からも開放されたトーベの本当の愛の対象となる。これこそが自由の愛。映画の大半はこの二人の愛が寄せては返す波のように行き来する心理を描いてゆく。 ・・・ ここまで書いて、果たしてこれがムーミンの原作者か?ということに立ち止まる。ムーミンのイメージ、北欧の先進国フィンランドという国のイメージなど、ありとあらゆる先入観が瓦解してゆく。これが主人公トーベの物語なのだ。彼女が冒頭のシーンで激しく振り乱して踊るシーン。映画のポスターにもなったこのシーンの影にムーミンが存在することを初めて知ることになる。日本で紹介されたムーミンとは大きくかけ離れたトーベの精神世界を知ることになる映画であった。 原作のムーミンもムーミンパパが死んだ後に大きく展開を変えるようだが、この映画で厳格な父親との和解が母親と通じて最後に少しだけ描かれる。感動のシーンだ。彼女はこの瞬間から画家に戻る。ずっと父親に反発して芸術を拒否してきた彼女は、父親の死をきっかけにキャンバスに向かい合う。そこにあらたな女性のパートナー、トゥーリッキが訪れ、彼女に”新たなる旅立ち”という作品を見せて映画は静かに終わる。この作品には顔がない。そしてエンドロールではトーベ本人が激しく踊る映像を流す。 この映画はいったい何を意味するのか。自由な愛か。芸術家の精神世界か。昨今紹介される、例えば『キャロル』や『アンモナイトの目覚め』のような愛とは少し趣を変えたトーベの愛は、フィンランドという独自の先進的な進化を遂げた国の女性の存在を世界に示すものだ。フィンランドにはもともと「キヴァ」といういじめに対抗する教育プログラムがあり、こうした思想は女性のリーダーによって開発されたもののようだ。映画の中でも女性の存在は強い。どの女性も見た目以上に強く独立している反面、男性の存在感は薄い。フィンランドという国の歴史とトーベという才能が世界に教えようとするのは女性の強さなのではないかと思う。トーベの奔放な存在感とは裏腹に、自立する女性の在り方をこの映画では丁寧に描ききっている。この映画は限りなく”女性”そのものを描く映画だったと思う。
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