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鑑賞日 2021/09/23  登録日 2021/09/23  評点 - 

鑑賞方法 映画館/埼玉県/ユナイテッド・シネマ浦和 
3D/字幕 -/字幕
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「入浴する智子と母」

プロデューサーとしてジョニー・デップはよくこの映画を撮りあげたと思う。勇気ある行動だ。彼がユージン・スミスを演じることは、彼自身もまたアルコール依存症であることと重なり、彼が過去に残してきたキャリアとの戦いの映画だったとも言えると思う。彼ほどのスーパースターがユージン・スミスというカメラマンと重なるのは、ある意味で必然だったのではなかろうか。

この映画をいくつかの視点で分類すると、ジャーナリズムと環境問題ということになるだろう。まずジャーナリズムという視点から考えると、現代のSNSなどの情報手段にとを対比させ、写真という表現を使った影響力を示すものだ。写真週刊誌やパパラッチが時として暴力性をもって被写体を押しつぶす場合がある反面、ジャーナリズムの中に存在する写真の波及効果もまた計り知れない。ユージン・スミスは単にカメラに水俣病患者を収めたのではなく「入浴する智子と母」という作品をもって彼の存在を世界に知らしめたとも言える。

もうひとつは環境問題だが、これは最初のほうのシーンで浅野忠信演じる水俣病患者の親の心境が物語る。彼はチッソ社に雇われている立場だ。だから自分の子供が病気に侵されていたとしても、それを公表したくないという心理が働く。これは國村隼演じるチッソ社の社長のセリフと符合する。会社が及ぼした被害は会社が世界に貢献した尺度からすると小さなものだと主張する。そして会社は雇用もうみだしていると。経済合理性が環境被害による人への影響や、患者を世話し続ける家族、その家族すら死んでしまえば、残された患者はどう生きていけばいいのか。坂本龍一の美しい音楽の旋律にのって、最後に世界中の同様な環境被害が”写真”という媒体で紹介され、且ついまもってこの戦いが終わっていないことを示して映画は終わる。

この取組みに対し、大手映画会社や水俣の人々の心理は必ずしも好意的ではないらしい。加害者である会社と被害者である患者や家族とに一定の合意があれば、こうした映画が必ずしも彼らにとってポジティブな存在にはならないかもしれない。しかし、もう地球そのものが悲鳴をあげている社会にあって、これらの現実はそのまま埋もれさせていいものでもない。

奇しくもスミスが残した傑作「入浴する智子と母」が時として聖母ピエタと重ねられるのは偶然ではない。慈悲の気持ちが存在するならば、これらの過去の贖罪を償う時間があるかもしれない。