アメリカ・ニューヨークでユダヤ移民の子として生まれる。母親を早くに亡くし、貧しく荒れた生活を送る中、問題児を集めた学校に入学。ここで演劇と出会う。やがて、メソッド演技を学んだ彼は、左翼劇団“グループ・シアター”を経てハリウッドへ。映画初出演作「四人の姉妹」(38)でアカデミー賞助演男優賞候補となって注目を集めた。以後も、2度目のオスカー候補となった「ボディ・アンド・ソウル」(47)、ユダヤ人差別問題に切り込んでアカデミー賞作品賞に輝いた「紳士協定」(47)など、演技力を生かして活躍するが、赤狩りでハリウッドから追放される。52年、持病の心臓疾患により、39歳で亡くなった。