大学時代に木下惠介監督、黒澤明監督らを通じて日本映画界に深い関心を持つ。1956年九州大学法学部卒業、松竹京都・演出部に入社。助監督として働く一方、テレビのドキュメンタリー番組の演出などを手掛ける。京都撮影所閉鎖後は大船へ移り、1968年に「復讐の歌が聞こえる」で劇場映画監督デビュー(山根成之監督と共同)。「黒の斜面」(1971)「嫉妬」(1971)「影の爪」(1972)などのサスペンスもの、「流れの譜」(1974)「海嶺」(1983)といった意欲作など数々の佳作を撮り続けた。またテレビでも『ジョン万次郎』(1968)『坊っちゃん』(1970)などを手掛ける。1973年からは『必殺』シリーズを演出、人気を博す。2011年7月14日心不全のため死去。