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岡田茉莉子

  • Mariko Okada
  • 出演/監督/製作
本名 吉田鞠子(旧姓・田中)
出身地 東京市渋谷区代々木の生まれ
生年月日 1933/01/11
没年月日

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略歴

大阪市天王寺区の生まれ。本名・吉田鞠子(旧姓・田中)。父は大正末期から昭和初期にかけて日本映画の代表的な二枚目スターとして活躍した岡田時彦(本名・高橋英一)、母は宝塚歌劇団で活躍した田鶴園子(本名・田中利子)。父は34 年1月16 日に死去、母はダンス教師の資格を取って仕事の都合で上海に渡ることになり、鞠子は母の妹・田中美得子に引き取られる。美得子は“ 御幸市子” の名で姉と同じく宝塚少女歌劇団で活躍していた。40 年、叔母がプロデューサーの山本紫朗と結婚したため、41 年に上海にいる母のもとへ行く。しかし戦争が激化したため44 年に単身帰国、再び叔母夫婦のもとで暮らし、45 年に山本紫朗が新潟市へ転勤になり共に移る。終戦直後の10 月、母が上海から引き揚げ、一家のもとへ落ち着く。46 年に叔母夫婦が帰京するが、母と鞠子はそのまま新潟市に留まり、48 年に沼垂高校へと進む。このころ市内の映画館で父の「滝の白糸」33 を観て、初めて父と“ 対面” する。51 年3月、高校を卒業し、母とともに帰京。母と山本紫朗のすすめで同年6月、東宝演技研究所に聴講生として入り、小泉博など3期ニューフェイスの仲間に加わる。入所して20 日後、突然、川端康成原作「舞姫」に高峰三枝子の娘役で起用される。芸名は谷崎潤一郎が名付け親となって“ 岡田茉莉子” とし、8月11 日封切の「舞姫」51でスクリーンデビュー。同年11 月に研究所を卒業し、東宝の専属となる。デビュー5作目の丸山誠治監督「思春期」52 では不良の女子高生の一人に扮して不思議な魅力を発散、以降も豊田四郎監督「春の囁き」52、谷口千吉監督「吹けよ春風」53、中川信夫監督「江戸っ子判官」53 などで助演を重ねているうちに年齢とともに思春期スターから徐々に脱皮、丸山監督「坊っちゃん」53 では池部良の主人公に対してマドンナを演じ、おとなのスターへと成長していった。54 年、舟橋聖一原作「芸者小夏」(杉江敏男監督)では池部を相手役として初の単独主演。会社社長の二号の温泉芸者が再会した小学校時代の先生と愛し合うが、あきらめざるを得ない女の哀しさを清楚なエロティシズムで好演、演技派女優へと進化するとともに、これを出世作とする。しかし以降は、スター女優としては順調な歩みを続けるが、出演希望作品は他の女優に取られ、稲垣浩監督「宮本武蔵」54 のお通は八千草薫に(岡田は朱美役)、成瀬巳喜男監督「浮雲」55 では助演と不満が溜り、55 年11 月の契約切れをきっかけにフリーとなることをほのめかすようになる。彼女の東宝への反発は、前年9月に辞表を提出した有馬稲子に続くもので、有馬は55 年3月に東宝を退社するが、岡田は強く慰留される。結局、「男ありて」55 で志村喬扮する一徹なプロ野球の監督の娘、彼女が映画化を望んでいた永井荷風原作「渡り鳥いつ帰る」(久松静児監督)で足を洗った流しの演歌師に扮し、昔の仲間の情夫から預かった金を演歌師仲間の結核の治療費に充てるため猫ババする女を演じた。以降も「ひとり寝る夜の小夏」55 に主演、稲垣浩監督の股旅物「旅路」55、堀川弘通監督のデビュー作「あすなろ物語」55、「宮本武蔵」の続編「一乗寺の決闘」55、「決闘巌流島」56 で朱美を演じたが、いずれも岡田の決定打となる作品ではなかった。56 年11 月、東宝との契約が切れるが、再契約を保留したまま初の他社出演として松竹京都の松本清張原作の推理サスペンス「顔」(大曽根辰保監督)に主演。この後、東宝の「柳生武芸帳」57 に助演したのを最後に、57 年3月にフリーとなる。フリー第1作は古巣の東宝で、丸山誠治監督「山鳩」。高原の小さな駅の老駅長・森繁久彌と結ばれる孤独な酌婦を落ち着いた演技で見せた。大映の伊藤大輔監督「刃傷未遂」では勝新太郎と、松竹大船初出演の中村登監督「土砂降り」では佐田啓二と共演し、それぞれ新境地を開いていく。松竹とは撮影所の家族的な雰囲気も気に入り、同年9月に専属契約し、その第1回作品として出演したのが井伏鱒二原作、中村監督の「集金旅行」57。部屋代を取り立てるために下宿人を中国から四国へと訪ねる若い男女の、行く先々で出会う悲喜劇を描いた佳作で、岡田は佐田啓二と絶妙のコンビを組んだ。次の中村監督「日日の背信」58 では、相手の男に病気の妻があり彼女への背信への悩みから彼女の死後も結婚できないという女の悲劇を情感豊かに演じた。この年はメロドラマ「花のうず潮」、喜劇「モダン道中・その恋待ったなし」など佐田啓二との共演が続き、すっかり松竹の水が合ったのか9月には3年間という長期の専属契約を結ぶ。渋谷実監督の「悪女の季節」58 では山田五十鈴の娘に扮し、難しい注文をつける渋谷に生来の負けず嫌いからガムシャラに喰いつき、オートバイ事故で10 日間の負傷をしながらも期待に応えるとともに芝居の面白さを実感。この作品で毎日映画コンクール助演女優賞を受賞した。中村監督「春を待つ人々」59では同じ画面に出るのは1シーンだったが、ライバルの有馬稲子と共演、同年の「愛の濃淡」「霧ある情事」「ある落日」などでは、いずれも愛人、あるいは二号の生活から脱皮しようと模索するヒロインを熱演、“ 二号さん女優” などと揶揄されもしたが、60 年にはガラリと趣を変え、木下恵介監督の「春の夢」、渋谷監督の「バナナ」、吉村公三郎監督「女の坂」など巨匠たちの作品の常連となり、小津安二郎作品にも出演した「秋日和」では、ヒロイン司葉子の親友で、しっかりした現代っ子を見事に演じた。61 年~62 年には悲劇女優としてのピークを迎える。五所平之助監督「猟銃」、中村監督「斑女」、井上和男監督「水溜り」、大庭秀雄監督「女舞」などに主演、様々な女の愛の苦悩と悲しみを演じ演技を深めていった。こうして脂の乗り切ったところで、61 年7月に井上和男監督「熱愛者」を自らプロデュース、62 年には木下恵介監督「今年の恋」、中村登監督「愛染かつら」に若い吉田輝雄を相手に主演。そして2度目のプロデュース作品として藤原審爾原作「秋津温泉」に主演。監督には、すでに3本の作品がありながら会社の意向で助監督に戻されていた吉田喜重に依頼する。岡山県の秋津温泉を舞台に、温泉宿の娘と、胸を痛めた泊り客との17 年に及ぶ愛の情念を描いたもので、会うたびに俗化していく男(長門裕之)への絶望から自殺するヒロイン像は、岡田の巧演と同時に、吉田喜重の硬質な抒情味をたたえた豊かなリアリズム演出によって鮮やかに浮き彫りされた。彼女はキネマ旬報女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞などを独占する。次いで小津安二郎監督の遺作「秋刀魚の味」62 に佐田啓二と夫婦役で出演、翌63 年には渋谷実監督「二人だけの砦」、大庭秀雄監督「残菊物語」などで意欲的な演技を見せ、木下監督「香華」64 では、わがままな女郎上がりの母親(乙羽信子)のために結婚も犠牲にしてきた女の人生を堂々と演ずる。64 年6月21 日、木下監督の媒酌で吉田喜重と結婚式を挙げる。65 年5月には事実上のフリーとなり、結婚とともに松竹を退社していた吉田が中日映画社と組んだ「水で書かれた物語」65 に主演、情に徹した日本の母を美しく演じた。その間、テレビにはフジ『巴里に死す』64、TBS『五月の嵐』『帰らぬ人』64 に主演。一方、舞台は55 年、東京宝塚劇場『皺と鼻』が最初で、その後56 年の東宝ミュージカル『太陽の娘』だけだったが、66 年に芸術座『細雪』に出演、実質的な初主演だった。同年6月、吉田と独立プロ・現代映画社を創立し、第1作「女のみづうみ」を発表する。以後、彼女の映画での意欲的な作品は、現代映画社を拠点に吉田が監督する、セックスを触媒として人間の深部に迫る前衛的で独自の映像世界を追求する知的な映画の中で示されると同時に、同年10 月に東宝演劇部と年間4本の専属契約を結んで、11 月の芸術座『宴』で市川染五郎(現・松本幸四郎)と共演したのに始まる商業演劇での舞台活動に大きなウエイトを置くようになっていく。吉田監督作品としては、「情炎」「炎と女」67、「樹氷のよろめき」「さらば夏の光」68、そして吉田の最高傑作と言われる、大正時代のアナーキスト大杉栄と、その同志だったふたりの女性を描いた「エロス+虐殺」70 では、大杉栄とともに虐殺される伊藤野枝を好演した。さらに、「煉獄エロイカ」70、「告白的女優論」71、「鏡の女たち」03などがある。吉田作品以外では、増村保造監督「妻二人」67、今井正監督「不信のとき」68、市川崑監督「吾輩は猫である」75 に出演。角川映画第2作の佐藤純彌監督「人間の証明」77 ではヒロインを彫りの深い演技で痛切に演じ、深作欣二監督「赤穂城断絶」78 では萬屋錦之介の大石内蔵助の妻りく、中島貞夫監督「制覇」82 では日本最大のやくざ組織のボス・三船敏郎の気丈な妻、同じく中島監督「序の舞」84 では画家・上村松園を女手ひとつで育てた母親を演じ、「激動の1750 日」90 では組の跡目の決定権を握る先代の未亡人役。伊丹十三監督作品では、「タンポポ」85 でマナー教室の先生に扮してコミカルな演技を披露、「マルサの女」87 では脱税男の内縁の妻、そして深作監督「おもちゃ」99 の料亭の女将、青山真治監督「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」06 などに出演。それぞれ出番は少ないながら圧倒的な存在感を披露している。戦後の日本映画に登場した大女優のことごとくが、舞台やテレビの仕事だけになっている時に、ただひとり映画でもなお大きな存在感を占めていることを実証した。舞台は70 年代にフリーとなってからも毎年1、2本コンスタントに出演しており、主な舞台は『滝の白糸』80、『楊貴妃伝』81、『春琴抄』82、『冬の花悠子』83、『私の愛の巣』84、『危険なパーティ』85、『修羅の旅して』86、『反逆児』88、『あばれ無法松』89、『謎のオランダ囃子』90、『五辯の椿』92、『源氏物語』93、『庭を持たない女たち』94、『午後の遺言状』97、『極楽ホームへいらっしゃい』07、『女優』10 などがある。一方、テレビドラマの近作は、NHK『憲法はまだか』96、『なごや千客万来』00、『芋たこなんきん』07、TBS『金田一耕助シリーズ・白蝋の死美人』04、『浅草ふくまる旅館』07、テレビ朝日『タクシードライバーの推理日記』04、テレビ東京『信濃のコロンボ事件ファイル6』04 などがあり、確かな存在感を見せている。

キネマ旬報の記事

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1973年1月下旬正月特別号

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新しい年・映画スターの条件:小林桂樹/岡田茉莉子/浅岡ルリ子の話から

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復刊15周年記念特集・1 34人の批評家が選出した戦後スター・ベスト5:特別グラフィック 〈選ばれた10人〉 左幸子/岡田茉莉子/岸田今日子/新珠三千代/若尾文子/三船敏郎/中村錦之助/仲代達矢/小林桂樹/勝新太郎

1964年2月上旬号

「突然炎のごとく」を語る:

1963年2月上旬決算特別号

1962年度ベスト・テン特別グラフィック 旬報賞に輝く人々:女優賞 岡田茉莉子

キネマ旬報賞を受賞して:

1962年10月上旬秋の特別号

特別付録1 グラビア 10人が選んだ10人の女優:[選ばれた人]京マチ子・山田五十鈴・高峰秀子・倍賞千恵子・若尾文子・岡田茉莉子・叶順子・新珠三千代・吉永小百合・藤村志保

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1961年8月下旬号

恭子対談 おたずねいたします:16 [答える人] 岡田茉莉子

1961年1月上旬新年特別号

クローズ・アップ:岡田茉莉子

旬報無題欄:5 岡田茉莉子と司葉子

1958年10月上旬40年記念号

特別口絵 映画人と家庭:岡田茉莉子

1958年4月下旬号

キネマ旬報無題欄:父への手紙

1958年1月下旬号

特別口絵:岡田茉莉子

座談会 わたしたちの生活と仕事:岡田茉莉子×南田洋子×久保奈穂子×香川京子×有馬稲子×尾崎宏次

1957年8月下旬号

次代への新しい個性:岡田茉莉子

1956年3月上旬号

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1955年12月上旬号

日本映画をよりよくするために:6 座談会 文学に先行する映画の将来性 川端康成×豊田四郎×岡田茉莉子

1955年7月下旬号

特別口絵:岡田茉莉子

1955年増刊 日本映画大鑑 映画人篇

グラフィック:岡田茉莉子

1954年7月下旬号

岡田茉莉子の場合-戦後派女優の考え方、生き方:

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特集グラフィック 映画人クロースアップ:岡田茉莉子

1953年8月下旬号

日本映画新人俳優論:明快なコケット・岡田茉莉子

1953年5月下旬号

グラフィック:岡田茉莉子