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沢田研二

  • Kenji Sawada
  • 出演
本名 澤田研二
出身地 鳥取県岩見郡津ノ井村(現・鳥取市)
生年月日 1948/06/25
没年月日

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略歴

鳥取県岩見郡津ノ井村(現・鳥取市)の生まれ。本名・澤田研二。生後まもなく京都府京都市に移り住む。府立鴨沂高校に通う傍らバンドボーイをしていた1965年、同じように音楽活動を志していた岸部おさみ(のち岸部一徳)、加橋かつみらと出会い、バンド“ファニーズ”を結成。内田裕也に見出されて上京し、のちに作曲家のすぎやまこういちに“ザ・タイガース”と命名されて、67年2月、シングル『僕のマリー』でメジャーデビューする。ヴォーカルを担当した沢田は、“ジュリー”の愛称で人気を博し、グループサウンズ・ブームの中心的存在として活躍する。映画には「ドリフターズですよ!・前進前進また前進」67へ、グループでゲスト出演したのを皮切りに、68年からは「ザ・タイガース/世界は僕らを待っている」など3本の主演映画が作られた。やがて、グループサウンズ人気が下降線をたどり、71年1月にタイガースは解散。沢田は岸部や萩原健一と新たに“PYG”を結成し、並行して同年11月に『君をのせて』でソロ歌手としてもデビューする。程なくしてPYGは解散したが、沢田は『許されない愛』72で日本レコード大賞歌唱賞、『危険なふたり』73で日本歌謡大賞と日本レコード大賞大衆賞、『追憶』74で日本レコード大賞歌唱賞、『勝手にしやがれ』77で日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞するなど、人気・実力ともに70年代の歌謡界をリードするトップアーティストの座に君臨した。その一方で俳優としては、藤田敏八・加藤彰共同監督の「炎の肖像」74で初の本格主演。人気歌手・沢田の実像と虚像を交錯させた異色の青春映画として注目を集めた。以降は、『唐版・滝の白糸』75で舞台初主演。同年には長谷川和彦脚本、久世光彦演出のTBS『悪魔のようなあいつ』に3億円事件の犯人役で主演し、挿入歌『時の過ぎゆくままに』も大ヒットさせた。79年、長谷川和彦の監督第2作「太陽を盗んだ男」に、自らの手で原子爆弾を作って国家を脅迫する孤独な中学校理科教師役で主演。当時の“シラケ世代”と呼ばれた若者を代表するような人物像を、コミカルな味付けで飄々と演じ、報知映画賞主演男優賞、ゴールデンアロー賞映画賞を受賞する。その後も数々のヒット曲を飛ばす歌手活動と並行して、深作欣二監督「魔界転生」81で徳川幕府に復讐を誓う妖艶な魔人・天草四郎役、山田洋次監督「男はつらいよ・花も嵐も寅次郎」82では田中裕子演じるマドンナと絡む気弱な青年役、森田芳光監督「ときめきに死す」84では新興宗教の教祖を狙うヒットマンを演じ、乾いた中にも悲しみをたたえた演技で見事に期待に応えた。作家・三島由紀夫の生涯を描いたポール・シュレイダー監督「MISHIMA」84、萩原健一、田中裕子と共演した鈴木清順監督「カポネ大いに泣く」85を経て、88年の藤田敏八監督「リボルバー」では、拳銃を少年に盗まれた中年警官の悲哀を自らの年齢に引き寄せてリアルに演じ、おおさか映画祭主演男優賞に輝く。以降も、大正期の画家・竹久夢二が女性たちを渡り歩く魂の遍歴を活劇風に描いた鈴木清順監督「夢二」91、諸星大二郎原作、塚本晋也監督の「ヒルコ・妖怪ハンター」91に主演し、映画界でも確固たる地位を築いた。テレビドラマは本数こそ多くないが、向田邦子脚本のTBS『源氏物語』80、大林宣彦監督のフジテレビ『恋人よ、われに帰れ』83、NHK大河ドラマ『山河燃ゆ』84、三谷幸喜脚本のフジテレビ『総務課長戦場を行く』94といった話題作に出演。90年代後半からは再び音楽活動に重点を置き、俳優業はペースが鈍るが、三たび鈴木清順監督と組んだ「ピストルオペラ」01、三池崇史監督の異色のミュージカルコメディ「カタクリ家の幸福」01、小さな町の電器店の主人を演じた安田真奈監督「幸福(しあわせ)のスイッチ」06などの映画で存在感を発揮する。ドラマはほかに、NHK『ふたつの愛』98、『オードリー』00、『マチベン』06、BS-i(現・BS-TBS)『最悪』01など。また、89年から98年までは、加藤直演出による音楽劇『ACTシリーズ』で一人芝居を続け、その後も『センセイの鞄』05、『ぼんち』08、『探偵・哀しきチェイサー』09など、舞台俳優としてコンスタントに活動を続けている。本道の歌手活動では、2008年に60歳になったのを記念して『人間60年・ジュリー祭り』と題した単独ライブを行ない、約6時間半のステージで80曲を熱唱。ミュージック・ペンクラブ音楽賞ポピュラー部門コンサート・パフォーマンス賞に輝き、10年には“ザ・ワイルドワンズ”とユニットを組むなど独自のパフォーマンスを今も展開している。私生活では、75年に元“ザ・ピーナッツ”の伊藤エミと結婚し、一男をもうけたが、87年に離婚。89年に「男はつらいよ・花も嵐も寅次郎」などで共演した田中裕子と再婚している。田中とは結婚後の99年にも、市川準監督「大阪物語」で売れないベテラン漫才師夫婦の役で共演した。音楽と演技の分野で沢田が影響を与えた人材は多く、日本を代表する唯一無二の表現者である。

キネマ旬報の記事

2023年12月号

巻頭特集 スクリーンへと越境したミュージシャンたち:Chapter02 音楽と演技で表現したミュージシャン俳優たち エッセイ 沢田研二

2023年2月下旬 キネマ旬報ベスト・テン発表特別号

2022年 第96回 キネマ旬報ベスト・テン&個人賞:主演男優賞 沢田研二

キネマ旬報増刊 キネマ旬報NEXT Vol.12「無限の住人」

コラム アイドルスターの転機:萩原健一/沢田研二/郷ひろみ/本木雅弘

2002年2月下旬決算特別号

FACE:沢田研二

1999年4月上旬春の特別号

FACE:沢田研二

1991年5月下旬号

特別企画 THE 沢田研二:下

1991年5月上旬号

特別企画 THE 沢田研二:中

1991年4月下旬号

特別企画 THE 沢田研二:上

1988年10月下旬号

THE FACE '88:沢田研二

1975年1月上旬新年特別号

グラビア:沢田研二の「炎の肖像」

1958年10月下旬号

日本映画批評:駅前旅館