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ヴィンセント・ミネリ

  • Vincente Minnelli
  • 監督
本名
出身地 アメリカ、シカゴ
生年月日 1903年2月18日
没年月日 1986年7月25日

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略歴

【MGM ミュージカルの全盛期を代表する監督】アメリカのシカゴ生まれ。1913~18年、子役として、父親がミュージカル指揮者を務めるミネリ・ブラザーズテント劇団に出演。以後、広告画家、デパートのショーウィンドー飾り付け、バラバン&カッツ劇場網のステージ・マネージャー兼衣裳マネージャー、ショー製作者として働いた。やがてニューヨークに出てパラマウント劇場で働く。34年にはラジオ・シティ・ミュージック・ホールの美術監督となり、バレエやミュージカルを演出し大成功を収めた。36年にパラマウントから声がかかって監督・プロデューサー契約を結ぶが、8カ月でやめてニューヨークに戻り、舞台監督となる。40年にアーサー・フリードに口説かれてMGMと契約。1年間は何の役職名ももらえず、スタジオで何かしら書いたり、プロデューサーの求めに応じて脚本について助言したりしたという。41年にバズビー・バークレー監督の「ブロードウェイ」の一部のシークエンスを演出し、43年のオール・黒人キャストの「キャビン イン ザスカイ」(日本ではビデオ公開)で監督デビューを果たした。42年から62年にかけて29本を監督し、MGM史上もっとも長く所属した監督となった。40年代半ばから50年代まで、MGMミュージカルを代表する作品を次々に手がけ、58年の「恋の手ほどき」でアカデミー賞監督賞を受賞した。ファンタジー要素を織り込んだ、流麗なカメラワークを駆使したミュージカルを得意としたが、コメディやメロドラマでも優れた手腕を発揮。50年のファミリー・ドラマ「花嫁の父」は大ヒットし、続編「可愛い配当」(51)も作られた。【映画美術を重要視】美術監督をしていたせいか、美術を重視し、MGM美術部の旧態依然としたところを革新。「彼らはショックを受けていたけど、ダンス・ナンバーはドラマティック・シークエンスと同じように重要であり、それらはストーリーに完璧に溶け込ませなくてはならない。それも今までのやり方とはまったく違うようにね」と振り返り、特にプレストン・エイムズとジャック・マーティン・スミスという美術監督と仕事が出来てよかったと述べている。「若草の頃」(44)に主演したジュディ・ガーランドと45年に結婚、娘ライザをもうけるが、51年に離婚。ライザは歌手、女優となり、父の監督作「ザ・スター」に出演している。

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