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パク・チャヌク

  • Park Chan-Wook
  • 監督/脚本/プロデューサー
本名
出身地 ソウル
生年月日 1963/08/23
没年月日

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略歴

【多彩なスタイルで新世紀の韓国映画を牽引するエース】韓国、ソウルの生まれ。西江大学哲学科在学中、ヒッチコック作品に影響を受けて映画製作を志し、1984年に仲間と西江映画共同体を結成する。卒業後の88年よりクァク・チェヨン(のちに「猟奇的な彼女」など)の助監督として映画界入り。92年、異なった道を歩むヤクザの義兄弟を複雑な展開で描いたノワール「月は…太陽が見る夢」で監督デビューを果たす。同作はシネフィルの強い支持を得るが興行は振るわず、あらゆるジャンルに精通する理論家の面を活かして映画評論家としても活動。94年には評論集『映画を見ることの密かな魅力』を出版した。99年、持ち込み脚本が評価されて韓国映画史上最高予算の大作に抜擢。南北兵士の交流を描いた「JSA」は2000年に公開されると、前年にカン・ジェギュ監督の「シュリ」が作った国内の観客動員記録を塗り替え、韓国映画界の将来を担う監督と注目された。続く「復讐者に憐れみを」(02)は批評家からも絶賛されるが、凄惨な描写が続く重い内容のため興行は苦戦。しかし、再びヘヴィな復讐劇に挑戦した「オールド・ボーイ」(03)が大ヒットとなり、カンヌ映画祭でも審査員特別賞を受賞する快挙を成し遂げた。さらに「親切なクムジャさん」(05)をいわゆる“復讐三部作”の最終作として仕上げ、国民的清純派女優イ・ヨンエの4年ぶりの映画復帰作という話題もあり、やはりヒットを記録。“復讐三部作”のあとは一転、別のジャンルを求めて、スタイリッシュなメルヘン「サイボーグでも大丈夫」(06)、10年越しの企画である異色バンパイア映画「渇き」(09)を発表。「渇き」は製作段階でハリウッドが共同出資と北米配給を決めた初の韓国映画となった。【罪を描く作家性と映画マニアの共存】60年代に生まれ、80年代の民主化運動過渡期に大学生活を送り、2000年当時に30代であった韓国ニューウェーヴ、いわゆる“386世代”の先頭ランナー。実験的スタイルを取った初期の頃はアート系作家とみなされたが、「JSA」以後は商業作で個性を発揮する人気監督へと転じた。作品ごとに多彩な映像テクニックを駆使しつつ、平凡な人物が修羅の道に引きずり込まれる物語が常に激しく強いパッションを湛え、ダークで不条理なユーモアが同居する作風は「JSA」から「渇き」に至るまで共通している。少年時代はドストエフスキーやカフカ、シェイクスピアを好んで読み、カトリック聖堂に毎週通って聖職者になる可能性もあったという。“復讐三部作”に代表される怒りの熱情と贖罪意識との劇的な相克は、その経験が下地になっている。一方で「監督である前にひとりの映画マニアでありたい」と語る身軽さと、仲間の監督を積極的にサポートするリーダーシップを併せ持つ。自身のプロダクション、モホフィルムの“モホ”とは“模倣”のこと。シネフィルらしくさまざまなジャンルやスタイルを横断しながら作り続ける願いを込めている。

キネマ旬報の記事

2023年3月上旬号

「別れる決心」:対談 パク・チュヌク[監督]×小野正嗣

2017年3月上旬号

この春、韓国映画の刺激に酔う:「お嬢さん」 インタビュー パク・チャヌク[監督] すべての五感を刺激する、ストレートな愛の映画

2013年6月上旬号

[巻頭特集]コリアン・シネマの森にまよって:「イノセント・ガーデン」 インタビュー パク・チャヌク(監督)

2010年3月上旬号

「渇き」:パク・チャヌク監督インタビュー

2007年9月下旬号

特別企画 「サイボーグでも大丈夫」:パク・チャヌク[監督] インタビュー

2005年臨時増刊 韓キネ!

「親切なクムジャさん」:パク・チャヌク インタビュー

2005年3月上旬号

キネ旬チョイス 「復讐者に憐れみを」:パク・チャヌク監督 インタビュー

2004年11月下旬号

SPECIAL INTERVIEW:パク・チャヌク監督(「オールド・ボーイ」)

2001年6月上旬号

特別企画 韓国映画、転進のとき:パク・チャヌク監督「JSA」撮影日誌(『CINE21』より)